2016.11.03
来年の里山アート展
佐藤賢太郎

1.里山アート展と農

進化する里山アート展を書きましたが、田舎で暮らす豊かな生き方を具体的に提案しています。昨日、黒米の脱穀を里山アート展の会場で行いました。里山アート展を見学に来られた方々がその光景を見て、とっても懐かしいとか、珍しいとの笑顔が見られる反響がありました。

中には感動したと、カメラのシャッター切る男の方がいました。その方は私たちの姿を見て時代の最先端ですね、そして田んぼから拾った稲を脱穀する光景を見て「コメ一粒を大切にしていますね」と言っていた。私は来年から「足踏み脱穀、とうみ」も里山アート展の楽しい風物詩としてこの時期にセットしようと考えた。まさにアートと農です。それとともに、この無農薬田圃で収穫される玄米の価値をどのように伝えようかと思案しています。

すでに、私は来年の里山アート展の作品構想をスケッチにして仲間にも見せ、この中から自分ができるものを選んでくださいとも言ってあります。既に来年の作品つくり、廃材を利用した小屋を作りました。あとは絵を描くだけです。この作品構想は12点あり、そのうち一点は制作しています。

 2.大塚さんの里山アート展の原稿を読んで

昨日は新潟講演会に参加しました。そこで、元教師をしていた80歳になったYさんの講演から学んだことです。この人は実践があるから話せるように感じます。そして学ぶことを辞めた人は、人に教えられないとも学びました。多くは「歳だから」と当たり前のように言葉にしますが、Y さんは「夢に年は関係ありません」と言っていました。

どんな原稿でも書くということは実践と向き合うことだと思います。そして、「工夫のあるなしは」その人の生き方が現われる。私には苦しい岡崎の体験が今となっては宝です。物事を厳しく言えることは、岡崎での裏付けがあるからです。

私は彫刻家として独立したばかりの頃、大学時代のラグビー部OBに呼びかけ、その集めたお金で私のモニュメントの制作もしました。図々しいようですが私は懸命でした。振り返り、今思うとよくやったと思います。共に行動した大塚秀夫さんはそのことはご存知だと思います。ガンになったことも必死な局面です。しかし難は福の門です。お金がないとかそのような性格でなくてなど弁解がましく「困った、と愚痴」を言っても何もなりません。それは、必死さと知恵や工夫の努力不足だと思います。