2017.02.20
時の無駄
佐藤賢太郎

死を意識できることは、生きることを意識することだと思う。何となく生きていない方だと思います。なぜなら、誰しも人間は生まれた時から100%死に向かって歩いています。それを、実感をもって意識しているからです。 

私は人生の後半になり、リーダーシップをとる役割をもって生まれたと思うようになりました。人によってはフォロワーシップの人もいます。それも大切な役割です。自分の役割を知るということが大切だと思います。どちらがよいという意味でありません。生まれてきた役割だと思います。それぞれの人があって、社会は成り立っていると思います。

誰でも自分の人生にリーダーシップをとらなければなりません。ただし、それだけに自分を知るということが大事です。 

時の無駄 一つ目。この豊実で、私はあと何年リーダーシップをとれるかと想像すると、それは5年以内かもしれません。3年過ぎた後は早いものです。そう感じると、時間はありません。時を無駄にしない生き方をしなければなりません。 

2つ目。薪ストーブの薪が無くなり、今日の午前中までには無くなるでしょう。去年の春から秋にかけて懸命に作った薪もなくなります。生かされている命も同じではないでしょうか。おぼろげでなく、明解に分ります。 

3つ目。昨日「キャンドルナイト」のイベントに新潟大学Gホームの学生がやってきました。急逝した安保君の死を悼むことも含めての事でした。彼は生前我が家に泊まり、いろいろな体験をしました。 

田んぼの草取りを私と体験したときのことです。「人間にとって一番大切なものは何ですか?」と私は問いました。彼は人生経験が少なく、答えられなかったかもしれません。私は「命」と言いました。「その命を繋ぐひとつがこの苗です」と言いました。優秀であったであろう彼は、若くしてあの世に逝きました。 

4つ目大塚さんの体験学習受け入れをする貸家を見つけるという問題です。はじめからだめだとあきらめてはいけません。私はそのために動きました。とことんやる、その貸家探しは私の夢にまで出てきました。それは山奥で、体験学習にはむいていませんでした。結果としては、単独ではできないことになりましたが、決して時の無駄使いではなかったと思います。