2013.12.31
今年最後の訪問者2
佐藤賢太郎

 伊藤千賀さんと中繁芳久さんは12時頃にお出でになり、午後5時にお帰りになった。その間和彩館和で話をし、滔滔亭、美術館を見学しましたが、それにしても長時間話が途切れなく続いたものです。それだけ双方に共有できる価値観が多かったということでしょう。またそれは、なぜ私が今日の行動をとることができたのかを考える機会ともなりました。

 肉体は歳月がたてば衰えてくる。言うまでもなくこれは、自然の摂理である。しかしながら、精神は歳を重ねるごとに磨けば若返ると思うようになった。魂が若返る、ステップアップするということを思うようになったのです。磨く努力をしなければ、精神、魂も衰えていくのだろう。今より善くなろうと常に向上心をもつこと、行動することである。それが、若々しく輝くことになるのだろうと確信します。多くの人は、歳をとると精神も衰えるとあきらめの境地入っていくように思えてならない。そうではない、魂を磨くことに限界はない、死ぬ直前まで磨けるのだ。このように共感できる方に出合うと私は楽しくなる。次の階段を登る話をしたいものです。

 私たち夫婦には子供がいない。寂しいでしょう、と言われることがある。生きるという価値をどう考えているのかと思う。子供は天から授かって、しかも預かりものです。しかも子供がいる方が人生を輝かして生きているとは限りません。私たちには天から与えられないということは、私たちには別な使命があって、生かされているということではないかと思います。

子供がいない、ということによって、ある方にはできないこともあると確信します。そのことを意識できると、私はさらに輝いて生きる方向に進めると思いました。

 コスモ夢舞台は、友人知人はもとより、多くの人とかかわり合いながら、ここまで発展してきた。なぜそれが可能だったのか、それを中繁芳久さんは誰もが納得できるように説明できる人かもしれません。必然性があるというのです。そんな話を聞いてみたくありませんか? 

その必然性は中繁芳久さんがインドに行き、マヤ暦から引き出すのかもしれません。私は彫刻家として一度インドに旅行に行ったことがあり、マヤ文明にも関心があります。私が宇宙の絵を描いてみたいということが、全て繋がっていると言うかもしれません。バラバラなことでも、私が動かされてその行動が必然的にあったということなのかもしれません。

 最後になりましたが、美術館を案内したとき印象的だったのは赤い蛇が階段を登っている作品であった。この作品は私の宿命と深く関係しているというのです。そして「難は変革創造の時」の作品にとても感心をもたれました。更に、裸婦の作品を見て天の力を呼ぼうとしている作品だと言っていたようです。私は裸婦がとても美しく感じたから作ってみたかっただけなのです。

こうしたことから、「アートで何ができるか?」という問いに、新しい答えのひとつを見出せるような気がしてきました。