2014.02.12
宮澤賢治
佐藤賢太郎

2010年ガンの宣告をされた時、どういうわけか私は宮澤賢治の「雨にも負けず」という詩に心を惹かれるようになったのです。

家内と二人で一緒に覚えようとしまた。決まって私が飛ばしてしまうところがあります。それは、「決して怒らず いつも静かに笑っている」のところでした。家内はやっぱりと、そこがガンになる原因と言うのです。私はガンの患者学研究所の指導の下、抗がん剤、手術もせずに、自助退縮でガンは治しました。

あれから4年目を迎えようとしています。そして今日、私の写真も載った“治ったサン”のポスターが届きました。ガンになることで得ることも多かったのです。ポスターに載ったことで、これからも努力をしなければと思います。 

何もしないでガンは治ることはなく、ガンを治すには徹底して努力する覚悟が必要です。大概の人は食事や手当や運動で治るわけがないと真剣に努力しないで、医師やそのほかのことに頼ってしまう。多くの方は、端から信じることなく、実行しません。そして残念ながら、死に至る方が多いとしみじみ思います。 

ところでこの冬、私は絵を描いています。襖はすでに描きましたが昔、子供部屋だったところは、今は物置になっています。その襖は、色は赤茶け汚くなっていました。前の2枚とは違ったデザインにしようと思い、今度は個々に挑戦しようと思いつきました。つまり、絵を描いた上に宮澤賢治の詩「雨にも負けず」を書きたくなったのです。新しい襖では決断できなかったかもしれませんが、もったいなくないからできます。

 古いということは発見の母です。字は上手でなくてもいいのです。問題は、その思い付きと組み合わせです。立てて書くので墨が垂れてしまい、ザラザラして上手く書けません、それでもいいのです。

宮澤賢治は36歳でこの世を去りました。彼は自分の生きる時間を10年くらいと知ったかのように、あらゆることに挑戦しました。体をいとわない壮絶な生き方をしました。私はそんなに偉くないのですが、なんだか私もいろいろなことに挑戦しているようです。あと10年、創造と夢に生きることができればと思っています。

雨にも負けずのように「そういうものになりたい」、となれませんでしょうが、原点を忘れないように、「雨にも負けず」を書きました。