2006.1.6
2006年の新年にあたって
佐藤賢太郎 

明けましておめでとうございます。
昨年は皆様のお蔭様で蔵・銀河を初め、さまざまな感動ある人間交流の空間、コスモ夢舞台つくりに邁進出来ました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年、私は40年ぶりに雪国の生活を体験している。朝、起きると必ず雪かきから一日が始まり、さらに降り続ける雪の中、雪下ろし、片付けで一日が終わる。
雪の片付けをしていて、小説「砂の女」を思い出す。砂の降り積もる処にどうしてわざわざ住むのか。そして思った、この豪雪の地に縄文時代の5000年前から人間は住んでいた。どうしてこんな厳しいところに何がよくて、人間は住んでいたのだろうか。太平洋側の方がずっと楽なのにと思ってしまう。

そこで、縄文時代に目を転じてみる。土器、土偶はいずれも、死と再生、そして子孫繁栄の願いが込められていたと思える。
雪の季節は厳しいが、雪解け以降は自然からいただく食が豊かであった。つまり、厳しい条件を乗り越えさえすれば、子孫の繁栄、豊かに生きるのに適した地域だったのであろう。

もしも、縄文時代に推測されている以上に人口が増大していたら、一体どうなっていたか、興味のあるところだが、狩猟生活植物採取生活では人口増加には限界があったようだ。 

日本の人口増大の時期についてこんなふうにまとめている方がいる。弥生時代になって稲作栽培に入ったとき。江戸時代の新田開発が行われたとき。明治以後、欧米列強にならって外国に富を求めたときと。しかし、それは絶え間ない闘争の歴史であり、結果として人間の退廃をもたらした。

現在も手段を選ばず利益のためなら他を傷つけてもかまわない。株の買占めや、不祥事、不正をしてでも、とにかく支配して勝つ。それが繁栄と信じているような風潮があるが、むしろ、人類は滅亡の道を進んでいる。

少子高齢化が今日の関心ごとになっている。日本は人口に関して言えば子孫繁栄どころか減少期に入り、国全体が衰退して行く危機がおとずれている。
その原因を個人の欲望を最優先にして家庭や子育てを拒否する心にあると指摘する人もいるが、先進国を含めて今の生き方では限界に来ていることは確かである。

そんな時代にあって、新年のはじめ、コスモ夢舞台に夢をかける意義を皆様と考えて結びにしたいと思います。コスモ夢舞台は自分も他人も喜びを共有し、共生するところにあると私は思っています。あるものを大切にし、人も物も活かして生きる。決して現代のような物質的贅沢を求めることを真の豊かな生き方とはしていません。人生の後半、退職後を如何に生きるか、私たちはそのことに向き合うときを迎えました。
その一つの回答として、縁あった私たちは、ここに故郷に帰った家族のようにして語り合いながら住む場にしたい。コスモ夢舞台のこころに「一人一人が輝く」とありますが農、食、教育、アート、音楽、建築技術等、それぞれの夢をこの舞台で演じてみませんか。さらに、ふくろう会の皆様とこのことを全国に発信する夢を一歩一歩完成したいと思います。
昨年、コスモ夢舞台(豊実)に極端な人口増はありませんでしたが、会員の一人が行動してみました。皆様が「人間の豊かさとは何か」をどういうところに
感じていたのでしょうか。蔵・銀河で語り合いたいと思っております。