2007.01.12
御沓一敏
定年後に考える生き方1

自動車や電気メーカに続き、菓子メーカの問題等々、企業のトップが謝罪のために頭を下げる場面をしばしば目にする。
そのような時、“一流企業が次々と出すリコール対象製品は、技術力低下によるものでも製品工程のミスによるものでもなく、大半が人を大切にしないためにモラールの低下した現場のうっかりミスによるものである”という文字が目に飛び込んできた。同感である。

時を同じくして、「闘争心の矛先を競合に向けるな。自分が生き残るために戦え。弱肉強食ではなく適者生存こそ心理である」との京セラ名誉会長・稲盛和夫さんの最近の言葉を見て、すばらしい方がいまだ健在なりと胸をなでおろした。

昨年まで在席していた会社を27年前に20名で立ち上げるとき、どのような企業にするか参考のためにみんなで回し読みして夢を語り合った本の中に「ある少年の夢」というものがあった。
「京セラの奇蹟」とサブタイトルにあるように20年の生き様を再現したもので、いわゆるハウツーものではなかった。
取材を終えた後、稲盛さんのことを「この人は人間の生き方と企業経営のあり方とを別べつのものとは考えていないということが強く印象付けられた」と筆者は書いていた。

侃々諤々の話し合いの結果、当時の会社のトップから「人を人として尊重し、ぬくもりのある、明るく楽しく、健康的に“朗働”できる企業文化を創造する」という経営理念が打ち出されたことを懐かしく思い出す。

その後、日本の企業はISO900014000……と立て続けにアメリカ型の競争と品質管理の手法を追求し続けてきた。企業文化という言葉さえ聞くことは少なくなった。その結果の現状であると思えてならない。

こうした一連の流れの中で自分を見つめてみた。
勿論、稲盛さんとは比べるべきもないが、一時、「経営」側の一員として身を置いた経験があるが、それは自分には向いていないと結論づけた。
ならば、残されたものは一つ、「生き方」として、コスモ夢舞台という場において、訪れた人みんなが元気になる「感動ある人間交流の場」作りのため人生の後半を掛けてみる価値があると改めて思った。