2007.02.07
御沓一敏
宝 物

3歳になる孫が、“ママは僕の宝物”、“僕はママの宝物”という違いを使い分けてしゃべるのがおもしろい。
また、一緒にお風呂へ入るときに見ているのであろう、最近は肉体的な男性と女性の持ち物の違いに興味を持っている。
誰が教えたわけでもないのに、パパは強く、ママは優しく、自分のことは可愛いのではなく、格好良いという。

さらに、こんなことがあった。愚妻は家の中では、ズボンスタイルの方が比較的多く、ある日、外出をするのでスカートをはいた。すると、孫が「おばあちゃんは女の子だったの!似合ってるね」と言ったので大笑いになったが、3歳にしてすでに男と女の違いを感じているのだなと思った。

誰からも教わることもなく3歳までに刷り込まれているものを母型(マザータイプ)という人がいるが、自分の孫云々は別にして、この方が自然だと思う。ところが、世の中で起こっている事象をみると、その点でのギャップが余りにも大きすぎる。

かつて、夫婦が円満に過ごす秘訣は、相手の長所=宝探しにありと聞いたことがある。ところが年を経るにつれ、「あばたも笑窪」に見えなくなるからその実践となると難しいが、挑戦する価値はある。
それはまだしも、最近は、お金=稼ぎ=宝ととらえるケースが増えて、人=宝という意識が薄れた結果、身内同士にも及ぶ悲惨な事件が後を絶たない。

ウーマンリブに端を発する ジェンダーフリー運動を展開する側からは「男は男らしく、女は女らしく」といった言葉は差別用語として、禁句扱いである。
こういった状況をみて気になるのは、人と人との関係や繋がりがまったく感じられないということである。

今、仲間内で盛んに取上げられている竹内節さんの「戦争という仕事」という本の中の「価値」というところで、「20世紀の経済学者、ケインズは、資本主義社会は貨幣愛の社会だと述べた。お金が基準になるから、資本主義は分かりやすく、効率がいい。しかしその過程では、人々の精神が貨幣愛に蝕まれていく、と。」書かれてあった。

私が、最初にコスモ夢舞台の建設作業に参加したのは7年くらい前になるが、そのとき驚いたのは、それぞれの職場に戻れば地位のある人たちが、肩書き抜きで、お互いを受け入れ認め合い、金銭的見返りを求めることもなく、黙々と汗を流している姿であり場所であった。
今も変わらず、訪れた人たちが元気になって帰っていかれる源はこの点にあると思っているし、自分としては「感動ある人間交流」を宝としてその舞台つくりに励みたいと思っている。










    マ マ