2008.07.12
「本物と向き合う」
御沓一敏

偽で覆い尽くされる日本
   コスモ夢舞台で中学生、高校生の体験学習の前半に受け入れスタッフの一員として参加して、感じたことを述べてみたい。  もちろん個々の教師や学校を云々するつもりはないし、学校、学年、クラス、家庭、個人によって違いがあるのは当然のことであり、これが全てではないことは言うまでもない。ここでは傾向としてこのような例が多く見られるのではないか。日本の行く末を危惧しながら取り上げてみた。

 コスモ夢舞台のホームページ上で体験学習の成果を報告してきたが、一昨年、ある学校の親御さんより表現の上でクレームが入り、一年分を全て削除する結果となった。その点を反省して、昨年より、掲載予定の文章と写真を学校長宛にお送りし、承認をいただいた上で掲載するようにした。校長から学年主任、父兄、生徒全ての承認を取るまでには相当の時間を要するが、個人情報云々ということが厳しく問われる世の中にあって、仕方のないことだと思っていた。

ところがある学校より、筆者が書いた文章の中で、“パワーのある子とない子”“繊細な子”といった表現について親御さんが見た場合に問題となるので、表現を変えて欲しいという申し出があった。
   最初は言っている意味が理解できなかったが、話しているうち、「弱い」ということを連想させる言葉が困ると言っているのだということに気付いた。これが小学校の運動会で1等、2等などの等級をつけなくなったという社会現象の延長線上にあるのだということが分った。まさに、自由と平等を履き違え、我が子だけを庇護?しようとして権利だけを主張する親(特に母親)に振り回されている学校の実態が垣間見えてきた。

私には表現を変える気も術もないので、今回は、その表現箇所を省くということで妥協した。いまや、一流料理店や食品関連の偽装だけではない。教育の世界でも教員の採用・昇進試験の不正が発覚したように、日本中が「偽」で覆い尽くされている。これ以上付き合っていると、知らぬ間に自らが偽に加担していることになりかねない。

一昔前までは“子どもの喧嘩には親が出ない”という暗黙の共通認識があり、先生や子どもたちを信頼して、親が他人さまに任せるところは任せていた。ところが、最近は特に母親があらゆるところに顔を出し、口を出す。大学の入学式や卒業式の付き添いにとどまらず、企業の入社式まで付いてくると聞いて唖然とする。こうした親や学校で育てられてきた子どもたちが、競争社会に入れられたとき、どのようになるかは火を見るより明らかである。 

人生の達人とは、受け容れと切り換えの上手い人と言った人がいる。強さと弱さ、長所と欠点、本当の自分を素直に見つめ、認めたうえでどうするのかを考え、行動していくところに進歩や発展があり、隠すところからは何も生まれてこないはずである。 

発掘した人材を生かす
   さて、私が3年前まで身を置いてきたところはコンピュータのソフトウェアを作る、いわゆるIT業界と呼ばれるところにある企業であった。時代の先端を行くといえば聞こえは良いが、特に技術者は工期を守るために深夜まで(あるときは徹夜で)左脳を使い続け、なおかつ生産効率と品質を問われる仕事で、病気にならない方がおかしなくらい過酷な世界である。

私も一緒にいた企業から訳あって、40歳代の社長をトップに平均年齢20歳代16名の社員が独立した。先日、その会社へ行って来た。社長の方針として「お客様にIT技術を通して感動を与える」ということを標榜している。売り上げ規模や、社員数の目標を掲げている企業が殆どの中にあって、貴重な存在であり、自分たちが成し得なかった会社の生き方を託すにふさわしい若者集団であると思った。

その若手社長に「コスモ夢舞台塾」の話をしたところ、今までいた会社で一昔前までは、100人に1人くらい、精神的に病める人が出てきたが、最近では50人に1人いや、もっと高い確率でそういう人が続出し、リタイヤーしているということであった。該当する人の名前を聞けば、みな知っている有能な若者たちばかりであり、無念である。一旦、この病にかかると、働き先の業界を変えたとしても、なかなか再起は難しい。自分の所からは出さないように努めるが、早く、そういった塾を確立して欲しいと言われた。ここでも「コスモ夢舞台塾」の役割が広がり、新たな触れ合いが生まれそうだ。

元気について
   古木さんがレポートの中で「元気溢れる」と「元気ない」に触れられていた。今まで自分は、「元気」とはいただくものとばかり思っていたが、コスモ夢舞台で誰もが元気になる姿を見て気付かされた。それは『元(の気)=神、創造主、大自然、ある見えない大きな力=人間を創った大元の力』に気付き感謝して汗を流すことなのではないかとおもった。
 また、ある人から、人の為というが「人」と「為」という文字を合わせると「偽」となると聴いて考えさせられた。自分に与えられた有限の時間を有意義に活かすために、ここでは敢て、自分のために草の根で「本物と向き合って行こう」と改めて心に決めた。