2007.01.18
森 紘一

「仕事と役割」

「夢舞台の住人」を楽しみに拝読しています。
蓮田から豊実に拠点を移されてからの暮らしぶりが、季節のうつろいと共に伝わってきます。
と同時に、日常のできごとに触れながら、さりげなく問題提起されていることに感心しています。
村の行事に参加されながら作品つくりを心配する下りには、深い問いかけがあることに気づかされます。
 ところで、働くということはどういうことだろう?
  「生活の手段」、「生きがい」、「社会への貢献」、「自分のやりたいことの追及」などなどいろいろと出てきます。そして、そのいくつかを合わせ持ちながら実生活は営まれています。
  例えば、地域社会と接点を持つことは、広い意味で社会貢献としての働きである。  賢太郎さんが五穀豊穣、家内安全、村の繁栄を願って、豊実の人々と行動をともにするということは、それが直接「稼ぎ」に結びつく生業ではないにしても、自分の役割をこなすという意味で、まさに立派な仕事ということになる。

働くという行為には、二つの異なった、あるいは矛盾する意味合いが含まれているのではないだろうか。ひとつは自分の“役割”をこなすということであり、もうひとつは自分の目的を実現するための“仕事”である。肝心なことは、働くという行為自体が自分ひとりでは達成できない他者との関係で成り立つということである。
  米つくりを例にとれば、自然や風土という他者との関係があり、家族や地域社会の人々との協力関係という結びつきも必要となる。

ところが、自分だけの利益や、効率、市場での競争といった目の前のことに追われてしまうと、こうした他者との関係を考える想像力を失ってしまう。まして、「勝ち組」をめざして生きがいをかけるサラリーマン生活者はなおさらということになる。

多忙なだけで充足感のない都会生活者の中に、「スローライフ」に関心を寄せる若者や再雇用を拒む定年退職者がふえていることは、新しい模索の始まりかもしれません。

こんなテーマを、この秋「現代日本の、個人の再生活力を考える」シンポジウムで、二日間にわたってじっくりと語り合えるのが楽しみです。
  豊実の「コスモ夢舞台」に興味と関心を寄せてくださる方々が、地元はもとより全国に広がり、さらに海を越えていくことを願ってやみません。