2013.04.28
生きることに挑戦
佐藤賢太郎 

生、老、病、死これは誰もが避けては通れない道である。生まれてから元気に活動して生きてゆける期間は限られている。その間、人はどれだけ挑戦して生きてゆけるだろうか。

私はガンを宣告され、命の限りというものを意識させられた。だからこそ生きることを意識させて頂くことになった。これもガンになったお陰様と言えるのでないだろうか。

先日、ある方が和彩館に来られた。その方は「オメさんは最高のぜいたくをしているね。あるものを生かし、自然と共に暮らし生きてゆけるからね。誰もがそれが良いと思いながらも、誰でもそうはできないよ」とおっしゃった。私は「ガンになったお陰様で、死を身近に意識し、生きることへの意味を改めて考えさせていただくことになりました。医師の言うとおりにしないで(手術、抗がん剤、放射線の受けない)自然治癒力に賭けました。そして、いろんな事が解ってきました。甘いもの、酒などを食しない生活に切り替え、そのほかに心を変える必要性を感じました。そうした結果、以前に増して気力が蘇って生きています。」と答えた。

 その方いわく「信じるかどうか、それは誰もができないよ、そのためにあなたはかなり努力したよね。俺なんか、甘いものを食べたいし、酒は飲みたい、とっても同じようにできないよ」と言う。

私は「そうじゃなくて、生きたいと言う執念です。本音では誰でも命は惜しい、生き長らいたいものです。でも楽をして、食べたいものを今まで通り食べ、そして治りたい、誰かが治してくれるとしたら、それは甘いじゃないか。」と言った。ガンになったのは、今までの生き方を変えなさいという天の催促、そう衷心からそう思うようになりました。

初めはその選択に不安に思うこともあった。多くの方がしていない、命賭けの選択をしたのは確かである。100パーセント治るという保証があったわけではない。自立療法を教えてくれる方も自己責任をとる覚悟がある人は治ると言っています。これはかなり厳しい言葉です。

人はいつか死ぬ。ならば何となく生きるより賭けたという生き方の方が私は好きなのだろう。

人は何を目指して生きているのだろうか。人それぞれであるのは言うまでもない。私は生活する最低限の収入は必要だが、金儲けのため、名声を得るために懸命になることではない。人と共に喜び合い自然りの摂理に生きる、ものを生かして使うこと。理想や夢に向かって多くの方と語り挑戦すること。アート制作で創造する発見の楽しみを味わうこと。若者たちとの講演、ギリシャに彫刻設置に夢実現を描いている。

そしてコスモ夢舞台がより前進することを考えています。里山アート展は10回を区切りにしますが、終わりにしようとは思いません。それまでの在り方を変えながらも継続します。今から来年の企画をどうするか考えています。

空気を吸って生きていること、太陽が暖かく自分を照らしていること、3度食事をおいしく食べられること、毎晩よく寝られること、仕事があること。これが感謝であります。