2009.07.31
エレルヘイン少女合唱団来訪1
佐藤賢太郎

一ヶ月前だったでしょうか、EUジャパンフェスト日本委員会の事務局長、古木修治さんより「エストニアから素晴らしい少女合唱団が日本に公演にやってきます。彼女たちの休暇を、豊実で7月27日一日だけ受け容れてみませんか? 歌でソ連から独立を勝ち取ったという国です。それに佐藤さんの好きな美人ばかりですよ」と熱を込めた電話をくださった。
   
   その合唱団はなんと40名、指揮者その他46名ということであった。美女を見たい好奇心はありますが、私一人では決められません。家内の承諾を得ないと絶対にだめでした。それに私は、「日本に向けられたヨーロッパ人の眼11写真展」の視察でリトアニアから帰ってまもなくのことであり、帰国後、仕事で盛岡に作品設置も控えていました。少女合唱団はその直後の受け入れです。
  
   いつも難しい玉を投げてくださる古木修治さんが、どんな想いで私に声を掛けてくださったのか、あまり深く考えず家内に相談しました。家内は「エー?」と先ずその数に驚いた。でも前向きに考えて周囲に宿泊場所の確保にあたってくれました。
  
    しかしかなり難しい状況でした。移動を含めお金をできるだけかけないで実施するしかありません。食事を全て和彩館で行なう覚悟はしても、寝泊りはコスモ夢舞台の施設全部を使っても50人は物理的に無理であった。そこで、和彩館の近所の「いとう屋」さんに泊まりだけ頼んでみたら、快く受けてくださることになった。何人泊まっても料金は同じと言う条件で受けてくれました。これで半分の宿の確保ができ、家内もやろうと決めてくれました。

今回、彼女たちは休暇中でもあり、私は「日本のふるさとでゆっくりしてください。ただし、屋根裏の部屋もありますよ」とエストニア友好協会代表の荒井さんに電話しました。すると、「かまいません」との応えであった。それどころか「ご迷惑おかけいたします」との言葉も添えられていた。

ところが日が進むにつれて、その受け容れの大変さがじわじわと伝わってきた。せっかく来てくださるのだから、新潟県の多くの方に知っていただき、親善友好のためにも彼女たちに豊実で少し歌っていただきたくなってきた。急な話しでもあり、会場は田んぼで、と私は決めた。そのことを荒井代表に伝えると、「たんぼで歌うことにきっと喜ばれます」との答えが返ってきました。

   これで決まった。県や阿賀町観光協会や新聞社にもこのことを伝えました。そして協力の依頼もいたしました。県広報課では、如何して豊実に少女合唱団が来るのか経緯を知りたいと連絡があった。私には願ってもないことでありましたが、その答弁はEUジャパンフェスト日本委員会の古木修治さんがしてくださることになりました。その原稿は、身に余るようなもったいない文章でした。こうしてエストニアからの少女合唱団の受け入れがかたまり、私は安心してリトアニアに立つことができたのです。