2009.08.06
エレルヘイン少女合唱団来訪6
佐藤賢太郎

エレルヘイン少女合唱団が風のように去った。田んぼは今、静かに何もなかったかのように青々とした稲が生育しています。

エレルヘイン少女合唱団の来訪を豊実に投げる人がいて、それを受ける人があって「エレルヘイン少女合唱団田んぼに歌う」が実現しました。そこで見えてきたものを述べてみたいと思います。

今回の受け容れはふくろう会の有志はじめ、地元の方の協力によって滞りなく実施されました。そのことに感謝いたします。

新潟市内からおいでくださったある方から「この度はおめでとうございました。大自然の中に響き渡る少女の歌声にとても感動しました。こんなことをやってのけた佐藤さん夫婦にカンパイ。ありがとうございました」と書かれた葉書が届きました。

   コスモ夢舞台やいとう屋さん以外の地元の民家で泊めてくださったIさんは「とても楽しくてよかった」と宿泊に迷惑どころか感謝していただきました。地元のお手伝いの方々も「こんなことは二度とないことだね」と感動の声を寄せてきました。

   また、町や観光協会の協力、そして旅館の方が、進んで彼女たちを無料で温泉風呂に送迎してくださった。新聞は写真入で大きく「エレルヘイン少女合唱団」を掲載してくださいました。
   またある方は、「豊実は何もないところだったのに、今では豊実が一番にぎやかなところになった」と言います。
   
   そして嬉しいことに、いとう屋さんがエレルへイン合唱団のコンサートの一部始終をビデオに収めてくださり、後日試写会をしますとわたしたち家族を招待してくださいました。大きな画面に鮮明な画像が映し出され、そのときの感激を蘇らせてくださいました。なんとそれをコピーして私にくださいました。

   こうしてヨーロッパの写真家歓迎会からエレルヘイン少女合唱団の田んぼコンサートというEU・ジャパンフェスト日本委員会の投げた球が、地元の人々にも大きな変化をもたらしてくれているようです。

投げる方も受ける方もいずれも設計図のようなものはなく、心の感ずるままに動く人たちだと思います。あまり相手のことを思いやってはできないでだろう、少なくとも私はそうである。
   感動することのほうを先にイメージするのかもしれません。町や観光協会に応援をいただいてからとは考えず、先ず自分たちでやってみる、そこからのスタートでした。これだけ内容のあることなのだからと勇気が湧いてきました。
   町にも一歩踏み込んで応援してください、と私は声を上げました。そして人数の多さもあって、地元の方にも応援をいただくしかなくなってきたのです。

あらためて、地域おこしって何だろうと考えてみると、それは心から自分が感動することに向かうこと、先々を計算しないことが大切だと思います。
   大変なことかもしれないが、動けば道は開けるのです。一般的に何処でもやっているようなことで、町おこしをするやり方では私は物足りなさを感じる。

今回の受け入れは、予算がないからコスモ夢舞台の屋根裏に泊め、和彩館で一緒に食事をすることにした。コンサートホールもないから公演は田んぼでする。一見貧相なようではあるが、これをやりきるぞと決めたときには既に豊かな演出プランが出来上がっているのではないかと思う。
   何も一般的な一流と同じではなくても、そこにかける独自の熱い思いがあればいいのだと思う。あるいは、自分に自信がないとき、他と比較し安心したがるのではないだろうか。
   私は彫刻家としては未熟であります、しかし生き方は一流でありたいと考えています。私は地域おこしのために動いているのではなく、自分が感動するために動いている。結果として、それが後世の人々に良い影響を及ぼせたらなおさら嬉しいと思う。彫刻は自分ひとりでするが、この夢は一人ではできない、仲間と共にするから楽しいのです。

EU・ジャパンフェスト日本委員会の古木修治さんとの出会いによって、私はそれまでの自分にはなかった世界への挑戦をさせていただいている。
   それは創作力や行動力がなければ受けるのは難しいことばかりであると思う。しかしそれを超えたとき、いずれの場合も感動はやってきた。

人は人によって影響され、影響を与え合って人生行路を進んでいくということなのだろうか。(完)