2009.02.28
日本に向けられたヨーロッパ人の眼11

佐藤賢太郎

アンドリューさんが再度訪問される理由の一つは、温泉に入る人々を撮影することにあった。
   それにプラスして、お茶会を提案したところ大変喜ばれました。新聞紙上には触れられていないことも多いのですが、例えば、このことでお茶室を貸してくださった神田さんや歓迎会に出席された村の方たち、魚のカマを下さった方など、すべてがこのプロジェクトに参加したことになるわけです。できれば新聞記事には、写真撮影に来ているという範囲にとどまらず、それぞれに訪ねたところでの人々との触れ合いというものを記事にしていただけたらよかったと、私は思う。

 さて再度新潟に向かう前日、朝食を終えてからふくろう会館&アートギャラリーを案内した。そして、ブリのカマをプレゼントしてくださった伊藤屋さん宅へ御礼の挨拶に伺った。つかの間であったが地元の方との触れ合いのひと時となった。          
   昼食は喜多方ラーメンにすることにしましたが、アンドリューさんへのプレゼントを、今度は箸ではなく何にしようかとちょっと考えました。歩きながらオーストリアといえば、日本ではモーツアルトが大変人気がある、と彼と話をしたことを思い出して、日本の演歌の新しいCDを差しあげることにした。私はそれほど好きではないが、ほとんどの日本人が好きな曲だと説明した。アンドリューさんは子供に聞かせるといっていた。演歌を覚えてくれるのかな。聞いてみますかと尋ねるとうなずいたのでその場でCDを聞きました。掲載した写真は、ラーメンを食べながら演歌を聞いている写真です。    

演歌の内容をほんの少し通訳しました。『骨まで愛して』という曲が流れたとき、これは少し難しいが「あなたは奥さんを深く愛していますか?」と言い、骨までという表現ができず、みぶりで英単語の骨を加えた。そして奥村チヨの「終着駅」をかけました。少しはわかってもらえたようです。すると彼に「エーデルワイスのCDを持っていますか?」と聞かれたので、私は「もっていない」というと「国に帰ったらエーデルワイスのCDを送ります」と言っていた。                       

家内が用があって和彩館の向かいのパーマ屋さんに行ったら「和彩館には外国人や県内外の方が訪れて羨ましいが、私にはとってもそんな受け入れはできないし、そういうところにはとっても入り込めない」と本音を漏らしていた。そうか、村の方は敷居が高いというそんな気持を持っていることを理解した。
   そのことから、日本人の性格などについても話をした。実は菊田さんや小寺さんのような英語表現はできないので、簡単な単語を並べ、理解しやすい表現に変換するのです。アンドッリューは日本人ということに興味があり人の写真を撮っていましたが、私たちはこうして会話を楽しんでいた。

  もう一度日本にきて下さいと言うと「来たいので、そのときは豊実に妻を連れてくる」といっていました。私にもオーストリアに来てくださいといってくれました。
   そうこうしているうちに出発の時間になりました。豊実は快速が止まらないので津川駅まで車で送ることにしました。途中、少し時間があったので、阿賀町役場によって役場の雰囲気を見せてあげようと観光課に立ち寄った。そして、観光課長補佐に「阿賀町にこうして迎えられ、ありがたいことです」というと、「遠方からご苦労様です」とお礼を述べてくださった。私は「この後ドイツの写真家の歓迎会を行います。よろしかったらお出でください」と伝えました。
   彼は「写真を撮っていいか」というので、「いい」と勝手に私が許可した。するとちょうど昼休みの時間になり、出前の食事が運ばれ職員が受け取るところを撮影していた。
   一路駅に向かった。残り時間は5分、丁度いいと言うと完璧ですと応えてくれた。内心危なかったと私は思った。こうしてアンドリューさんと再会に感謝しつつ、津川駅ホームで彼を見送った。