2009.03.05
日本に向けられたヨーロッパ人の眼12
佐藤賢太郎

   3月4日豊実駅にドイツ人写真家ハンスさんとアシスタント役の鍵丘さんを和服で出迎えた。
   せっかく豊実に来られるのだから、できるだけのことをしようと心がけた。お茶会に関心があるとのことだったので、最後の頼みとして家内に和服を再度着てもらった。私もめったにないよい機会と思い、和服を30年ぶりに着せていただいた。お茶会の席に絵になるだろうとの思いであった。

その日は新潟日報の記者も取材に同行された。お茶会の部屋を貸してくださる神田さんは記者の来訪に少し驚いていたようであった。お茶の精神を鍵丘さんに通訳していただいた。ハンスさんは寡黙な性格の方のようでもあり、それほどお茶に関心を示されなかったように思えた。風景写真を撮りたいという気持が強いからかもしれない。本心はわからないが、今回お見えになった外国人写真家3人3様それぞれの反応であった。私たちはそれでよいと素直に受け止めていた、それこそ個性であろうと思う。
   これが外国人でなく日本人なら、お茶に関心があるといったのにとため息も出るところだった。しかし異文化の人を受け入れるという心構えがあり、すんなりと受け入れられた。

お茶の後で、豊実の風景を写真に撮りたいという望み通り大きなカメラで阿賀野川を撮っていたようである。その後、やはり赤湯温泉に出向いてからだを癒し温めたが、もちろんハンスさんは初めての体験である。

午後6時、いよいよ今回のプロジェクトに写真家として来訪された最後の歓迎会の時刻がやってきた。
   今回は村のお年寄りを中心というより、村の若者とそして縁あった阿賀町、長岡市の方々とメンバーを入れ替えての歓迎会を企画した。今まで2回とは違った雰囲気の中で、徐々に盛り上がった。ドイツのことを熱心に聞いたりする若者もいてとてもよかった。
   そんな中にあって、長岡市から参加した方がわたしのことを良くわからないらしくて、「佐藤賢太郎は有名なの?如何して地域の人と一緒に町おこしをしないの?」などと聞いておられたそうです。また、中には年配の方から「今までは賢太郎さんとは距離があった、しかし今は違う。こんなに近づけたし何でも言ってくれれば協力する。あなたのやっていることはいいことなのだから」という嬉しい言葉もあった。
   これも写真家の皆さんがお出でになったからだと感謝しています。ハンスさんの写真集も見せていただきましたが、もうこの頃には硬い表情も和らいでいるように感じられた。豊実にはいい風景がいっぱいあると言い残しながら、新潟行きの列車に乗り込んでいかれた。