2009.03.11
日本に向けられたヨーロッパ人の眼15
佐藤賢太郎

写真アーチストのハンスさんが阿賀町を気に入って戻って来られ、連日写真を撮ることになった。はじめは、4日間滞在して戻るのかと思っていた。朝、予定を聞いてみると、5日間宿泊して12日に新潟へ帰ると言っていた。友好的に毎日過ごしているものの、言葉が自由に通じないことや毎日違う食事メニューを考えることなど、気遣いが多いようで、「やれやれ」と家内は本音を漏らしていた。

   また、風呂は毎日25分かけて車で温泉通いであるが、その間沈黙ではしょうがない。私は、ドイツ統一で国民はどう思っているのかなどと質問もするが、難しい話は日本語的英語のため通じないこともしばしばある。それでもハンスさんは、ここが撮影にはいい環境であると感謝しているようである。

ところでおせっかい焼きの私は、隣町西会津国際芸術村に(我家から車で30分)ドイツの女性写真家が滞在していると聞き及んで連絡をとってみた。先方も会いたいようであり、ハンスさんも行ってみたいとの意思だったので、その日の午前中に芸術村を訪ねた。(後で聞いてみると、とてもよかったと彼は喜んでいた。)ドイツ人同士ドイツ語で会話して、同じ写真家なので話が盛り上がったようであった。
   その時ハンスさんは、阿賀町の曇り空の風景を撮りたいのでもう少し和彩館で泊めてもらえないか、とドイツ人女性(日本語が話せる)を通し私に聞いた。彼女は、日本人特有の遠まわしの意思表示ではなく、イエスかノーをフランクにいって欲しいと言うのです。私は家内の承諾を得なければならないので、あとで答えることにした。手打ちそばのことを話すと、私も食べたいと彼女も後を追うように和彩館においでになった。
   こうしてドイツ人が和彩館に集まった。彼女は、日本人に対するヨーロッパ人の気持やアーチストの生活を家内に話していた。もう少し滞在してよいかというハンスさんの問いに、家内は何とかなると腹を決めたようなのでOKを出すと、ハンスさんは感謝していた。

   さて、今年の「コスモ夢舞台2009」里山アート展のデザインポスターが早々にできあがった。私は、これを活用して地元から協賛をいただくためにホテル、旅館、企業を訪問した。このように一軒一軒お伺いし、お願いすることは初めてのことです。こうしてコスモ夢舞台の活動や里山アート展が地域に知られ、受け入れられてゆくためには大切な努力であります。作家だけ多く集めれば良いわけではありません。ようやく、私の希望するほぼ全ての方々から賛同を頂きました。
   その一つ、下越酒造株式会社社長さんにお会いできました折、ドイツの写真家が我家に泊まっています、と言うと「待ってください、ドイツのいいワインを上げます」と二本種類の違うワインをくださいました。ハンスさんに話すと、確かにドイツでよい産地の甘口高級ワインでした。
   ところで、ハンスさんはライプチヒ生まれのようで、有名な音楽家は誰かと聞くと「メンデルスゾーン、シューマン、バッハがこの街に生まれた」と言うのです。ドイツはベートーベンはじめ有名な多くのクラッシク音楽家を生んだ国です。
   そこでわたし達は、夕食のときにクラッシク音楽を聞きながら高級ワインをいただきました。ブリのしゃぶしゃぶを食べながら、電子辞書を片手に「私たちは今、贅沢な時間を過ごしていますね。人生に限りはあるが、一日一日感動して生きることが大切ですね」と私が言うと、ハンスさんは「そのとおり、ハッピーです」と答えてくれました。
   家内も、ハンスさんが寡黙でとっつきにくい方だと思っていたようですが、写真に対する姿勢などからその見方を変えて、今では食事などで笑が飛び交うようになりました。毎日、目の前にドイツ人がいて、ここはどこなのかと不思議な気分になります。
   
   そして、今回ヨーロッパの方々を新潟に招致してくださったEU・ジャパンフェスト日本委員会の古木さんに電話をすると、「日本語を忘れないように」と笑いながらジョークをいただきました。ともかく、朝から晩まで何とか自然体で会話をしながら、家内ともども受け入れを楽しんでいるこのごろである。