2009.02.12
日本に向けられたヨーロッパ人の眼4
佐藤賢太郎

オーストリアからお出でになるアンドリューさんとデレクターの菊田さんを隣の日出谷駅に迎えにいった。新聞記者にもお知らせしてあり記者のTさんもお出でになった。定刻に汽車は到着し、お互いに挨拶を交わして撮影現場のしょうき様がいる日出谷の平瀬地区に入った。現地に着くとスタンバイはすでに終わって、そこには村人の実行委員会の方が集まり一杯飲んでいました。かねてからお願いしておりました親交のあるHさんに訪問の挨拶と写真家の紹介をし、実行委員会の皆様にもご挨拶することとなった。

早速写真撮影に入った。しょうき様はもちろん、実行委員の皆さんが飲みあっている素顔も興味を示されて撮影された。しょうき様を担いで村を歩く時刻まで間がありましたが、Hさんが我家で食事をと招待してくださり、お言葉に甘え3人で伺いました。田舎料理とのことでしたが、とても美味しいものばかりでありがたく「ラッキーでしたね」と2人に申しました。Hさんは骨董も扱っていて、アンドリューさんはそれも写真に収める事となった。またその日は、年一度の津川での船まつりの神事があり、しょうき様担ぎまでまだ時間があり、そちらに向かった。神事半ばだったのですがしょうき様の日出谷にまた戻ったところ、既にもう終ったとのこと。我々を追って同行していた記者も、これでは絵にならないと本社と連絡してどう原稿をまとめようかと頭を悩ませてしまった。アンドリューさんも結局、しょうき様をバックに実行委員の皆さんを写すことになった。

帰り際に少々酔っていたある方が、「佐藤さんは外国人の写真家を呼ぶより村人を巻き込んで事を動かすことが大事ではないか」と苦言をていしてくれた。まだそのような観念にとらわれているのか

、私には聞き飽きた言葉である。気分の良い言葉ではないが、私も年を重ねてか何の反論もしなかった。ただ私はそれに対し、「これから村の方が集まって外国人の歓迎会をしますよ」と一言云ったら、少し驚いているようでした。先入観でしか反応を示さないことが残念である。「しょうき祭り」は確かに村人が集まって役場の方も応援していたし、お祝いもお酒もたくさん集まっていた。それに比べると「里山アート展」は、まだまだこれからというのが現状であります。

その後、自宅の和彩館に帰るまえに赤湯温泉に入った。アンドリューと私は一緒に湯船につかり英語で語り合った。というと、いかにも英語が堪能に思えるでしょうがそうでありません。めちゃくちゃな英語です。菊田さんや古木修治さんがいなくて幸いですが、自由に私なりの英語を話します。周りのお客様は誰も英語がわからないので平気です。また彼は全然日本語は話せない。私は単語を並べた英語で、「いい気分だね。いい温度。家族はいるの?」と質問をし、「ここは赤湯温泉と言うのだ」と説明する。赤、レッドの発音が悪かったようでなかなか伝わらなかった。

さて、いよいよ和彩館で村の方々に集まってもらって歓迎会です。古木修治さんには悪いのですが、コスモ夢舞台のためには写真撮影より、何人来てくださるかがメインであり気がかりなことです。

夜7時、主だった方々が三々五々とお見えになりました。皆さんにお二人の紹介を含めて説明し、アンドリューさんには英語で歓迎会をしますと話して「チエアーズ、乾杯」で始まりました。村人たちは質問したり、それぞれに語り合ったりしていました。今まで、私を理解し難かったのではないかとおもわれる方が「賢太郎さん良かったね、ありがとう」と言葉に出してくださり、嬉しさがこみ上げてきました。

「この写真プロジェクトのお陰で地元との交流に前進することができました」、と菊田さんにそれまでの現実の本音も漏らしながら車中の移動となりました。アンドリューにも、「来てくれてありがとう」とお礼を言いました。彼も嬉しかったようです。もう一度豊実に戻って、風呂に入っている写真を撮りたいようです。

翌日、村人から「昨日はご馳走様になりました」とねぎらいの言葉をかけていただきました。楽しかったとの印象が伺えました。

すかさず22日にもう一度歓迎会をやりますのでよろしく、とお願いいたしました。そして、彼らが次ぎの訪問地に向かうため家内と駅のホームに上がりで見送りをしました。また佐渡に行きたいとのことでしたので、知り合いがいるので港まで出迎えに来てくれるように依頼してありますと伝えますとアンドリューもとても喜んでいました。

その日、次の訪問者であるリトアニアの写真家の撮影を希望する酒造会社に挨拶に回った。また町長さんに、「事務局長さんの許可があれば、阿賀町でもワークショップか写真展をしたいのですが」と言ったところ、「いいですね、期待しています」と返事をいただきました。