2007.5.23
高島屋「個展」、後半の二日間
森 紘一

5月21日(月)
  今回の個展には私事ながら調整がつかず、最後の二日間だけ日本橋へ通うことができた。昼前、2年ぶりに6階の美術工芸サロンに顔を出すと、賢太郎さんは不在だった。顔なじみのNさんの話では、厚木方面へ出かけて13時半までには戻るという。どこにいても、その行動力には畏れ入る。                                

休みあけのデパートは人影もまばらで、ひっそりとしていた。賢太郎さんの小動物たちも、のんびりお昼寝を楽しんでいるように見えた。ギリシャのアマリアーダにご縁の出来た大理石『ゴルゴーナ(融合)』の大小数点と大車輪の作品『再生』が会場を賑わしていた。それにしても、心なしか赤マーク(売約済み)が少ないようで気になる。
  久しぶりに対面の丸善で懐かしいハヤシライスを味わっていると、賢太郎さんから「今戻りました」とケータイにメールが入った。

19日の講演会と懇親会の様子を賢太郎さんからお聞きした。東洋大学の青木先生との対談は、かなり盛り上がって楽しかったそうだ。わたしも3月に、会津坂下のグリーンツーリズム大学で講義を受けたが、ユーモアーあふれる語り口を思い出す。 

個展開催中に、作家が自ら講演会を開くという“賢太郎さん流”は、その動員力と売り上げが結びつけば問題はないようだ。どうやら定着の気配だが、我われの役割分担と宣伝方法についてはまだまだ検討しなければならないだろう。ましてや、コスモ夢舞台の活動が公的機関や県・町村の助成事業として認められた今、賢太郎さんの講演会はなおさら重要な意味をもってくるわけだ。 

会場で、「『ギリシャからの手紙』を読みました」という中年のご婦人連れが、今回の紹介状のフクロウの『よりそう』や犬の『リキ』、横たわる猫の表情を眺めながら、「どれも先生らしいあたたかい作品ですね」と、しきりに感心していた。「作品のポストカードはありませんか?」とは、何人かに聞かれた。「すいません。次回はかならず」、苦しい答弁となった。

「講演会はとても楽しかった」とおっしゃる親子連れは、『ギリシャからの手紙』も購入された様子で、「豊実へも行ってみたい」を繰りかえした。手元にパンフレットがなかったので、HPのアドレスが入った名刺をお渡ししておいた。コスモ夢舞台のマップやイベントの日程表を用意して、勧誘するには絶好の機会だった。
  18時半まで会場にいたが、所用で高島屋を後にした。

5月22日(火)
  さて、今日は最終日で午後4時まで。売り上げの追い込みにも期待がかかっている。    
  作品の搬出は、午後6時までには終了しなければならない。幹事長と鈴木さん、大塚さんが4時には合流することになっている。                  

早めにとは思いながら、渋谷で所用を済ませて高島屋に着いたのは11時過ぎだった。 賢太郎さんは、既に接客中だった。その後、EUジャパンフェスト委員会の長谷川さんと箱田さんが見えた。聞くところによると、古木事務局長はルーマニアだという。お二人は、事務所に置きたいという賢太郎さんの作品を物色中だった。海の向こうの古木さんと連絡をとりながら、若い女性が選んだ作品は、やはり『ゴルゴーナ』シリーズのひとつだった。やわらかな腕の線ときめ細かな造形は、賢太郎さんの自信作でもあったようだ。                                 
  「ベンガラのお化粧直しに事務所へも行きますよ」、賢太郎さんも満面の笑顔だった。

この後、賢太郎さんの常連のお客様や知人・関係者が続いて、売り上げも水準まで伸びたのは幸いだった。今回の芳名録の中に、わたしの友人や知人の名前も見つけることができた。コスモ夢舞台へのフォローは責任をもってはたしていかなければと思う。

4時前には、幹事長、鈴木さん、大塚さんが会場入りしていた。今回の搬出は、一昨年に較べればラクだった。それぞれの作品は、プラスチックのラックに詰め込んで二台の大きな運搬用の専用キャスターに運びこんだ。大物の作品は、平台のキャスターに固定して二台分あった。それでも、Nさんを含む6人で一度に一階まで下ろすことができた。
  賢太郎さんのトラックにすべて積み込んで、6時過ぎには近所の喫茶店で賢太郎さんを囲むことになった。

コスモ夢舞台のこれからのテーマが話題になった。建設作業というハードが一段落したら、後は広い意味での教育、ソフト面はこれにつきるのではないかという結論になった。アートと音楽と農業を中心に、いろいろな体験イベントで都市との交流をはかり、地域の活性化につなげていく、そんな構想だったように思う。

さっそく、9月の三連休を利用したイベント案が仮決定した。17日(月・祝日)に天田透(てんだとおる)さんのフルート即興コンサート(悠々亭)をはさんで、前後にアート展への作品つくりの体験教室と自然とのふれあい教室を開催するという内容だ。
すでに、和彩館でマキ子さんを中心に展開している農家民宿は、これで一段と“面白くてためになる田舎の寺子屋”に近づく姿が見えてきた。
  大塚さんとトラックに乗った賢太郎さんとは、高島屋の路地裏で別れた。幹事長と鈴木さんとは東京駅まで歩いた。夕暮れ時とはいえ、5月の風はさわやかだった。(終)