2006.07.17
「第3回縄文の風シンンポジウム」開催

7月17日、ぎゃらりー和彩館において、「第3回縄文の風シンンポジウム」が福島県立博物館・学芸員・森幸彦氏をお迎えして、開催された。
豪雨が続く豊実において参加者の出足が心配されたが、32名(内地元8名)の方々がお集いくださり、3回目としては盛会であった。

縄文に学び「今の時代を見つめなおす」という趣旨は第1回目から一貫しているが、今年のテーマとしては
1.     縄文人は定住生活をしていたか
2.     再生の観念
(1)土偶はなぜ作られたか
(2)死と霊
のもと、まず、各テーマのごとに区切り、パネラーの森幸彦氏と司会・進行役の佐藤さんとの質疑応答形式で進めら、その後、参加者からの質問をいただくという形で行われた。

特に「定住生活」のテーマについては、40年ぶりに佐藤さんが豊実で厳しい一冬を過ごした結果、このような場所に定住生活はなかったのではないかという現実的な疑問に端を発している。
森幸彦氏は考古学的な見地で裏づけながら、当時の縄文人にとっても、この地のほかに選択肢はなかった。ここが一番良かったからという定住生活説で結論付けられた。

ただ、残念なことに、この地での遺跡の発見は屋敷島遺跡以外になく、非常に少ないと言う話に、会場は一瞬シーンとなった。しかし、それは、まだ出ていないということであり、必ず埋まっているはず、登録されていないだけという言葉に勇気付けられ、近くの菱潟にも出ているという地元の人の声も上がり、一転して夢とロマンが膨らんだ。 

参加者からの第一声は地元区長のIさんであり「土器を作る人に専門家集団なるものがいたのか」という質問で口火が切られた。
パネラーの分かりやすく、明快な受け答えとも相俟って、地元の方々もシンポジウムは難しい話ではなく、身近なものとして距離が縮またのではなかろうか。

熱心な討論が続けられた後半、「死と再生」のテーマのところで、森氏は「水に入って流せば浄化(きよめ)られるという縄文人のシンプルな発想は、キリスト教初め他の宗教にはないものであり、罪も洗い流して出直す機会を与える再生思想こそ大いに学ぶべきではないか」と提案された。
敗者復活はないと言われている日本社会にあって、再生・元気・復活が実証されているコスモ夢舞台の活動が重なり合ってお互いに響きあった。

考古学会での通説を紹介した後、その枠を超えて吶々とすばらしい自説を述べられる森氏のお人柄、参加者皆さんの顔が全て子供顔に見えたという森氏の感想は会場が一体であったということであり、都会という弥生の舞台ではなく豊実(コスモ夢舞台)でしか味わえない感動であった。

最後に、来る8月20日西会津国際芸術村で行われる佐藤さんの講演「ギリシャ奮戦記」シンポジウムが紹介されて、閉会となった。(K.M)