2010.01.02
冬と縄文
佐藤賢太郎

便利で快適な現代の生活スタイルからは縄文人の生活を思い浮かべることはなかなかできないと思います。しかしながら唯一、私にとって冬は縄文人を想い出させる季節です。 冬は一年のなかで最も日常生活とは違う世界を感じる季節です。それは遠い外国、別世界に入ったような感じになります。

この2年間豊実も雪が少ない年であった。ところが昨年は12月に大雪に見舞われた。冬は一夜にして風景は一変してしまう。一夜というよりみるみる雪が積もってしまい、30分で家から外に出るのも難しくなる。朝起きると雪を除雪しないと外に出られない。そこで朝早々に除雪をして、ひと汗流して家に入る。また午後になると雪で外に出られなくなってしまう。そこで、また除雪作業といった繰り返しである。

冬、私は仕事場までは歩いて行く。眼に入る風景は実にシンプルで白黒の世界である。顔にピューピューと吹雪が当たる、これこそ冬の季節と実感する。そして山はゴーゴーと唸り声を出す。

私はこうした生活入ると、きまって縄文人はどんな暮らしをしていたのだろうと考えてしまう。冬の食べ物は保存食、そして暖を取るためにどうしていたのだろ。いくら縄文人でも焚き火を使わなくては生きてゆけなかっただろうが、その薪はどこに蓄えていたのだろう。私は冬になると、石油ではなく薪を焚き、そして今年初めてトチモチを食べた。本当に素朴な味であった。雪道を歩くと動物の足跡がいたるところに見られる、縄文人は冬に、この動物たちをかろうじて捕らえて食べたのだろ。縄文人は厳しい冬を耐え忍んで生き抜き、春を待っていたのだろう。だから冬至とか立春の節目に、特別な想いで再生を考えていたのだろう。そこには自然と一体になった生活があったと思う。やはりこういう自然環境こそ、実感として縄文の生活を考えやすくするのだろうと思った。