2007.07.24
ストーンサークルはなぜつくられたか

  その学習のため小林先生から送られた書籍やコピーした資料を読ませていただいています。私自身がストーンサークルの意味が分からないとストーンサークル作りもできないので学習しています。大学に通わないで小林先生の授業受けているようなものです。翡翠の謎に続き、心に残ったところをメモしてみました。

縄文集落の歴史的意義
  人類史上最初にして、最大の画期が日本列島における旧石器時代からの脱却である。日本列島における旧石器文化から縄文文化への飛躍である。縄文革命と呼ぶ。このときを境にそれは定住生活に突入した。その定住的ムラの意味は自然の中に同居していた獣や鳥、虫、或いは魚たち、木々、草との仲間関係を否定して自然から分離独立して行くことであった。

ヨーロッパと日本的精神との違い
  自然からの独立宣言は自然と対等の関係になる事でもなくましてや自然との敵対関係になることでなかった。あくまで新たな自然との関係を模索し、自然と共生の路を選択したのである。
  日本人の心自然に対する思いの原点がここにある。こうして日本的精神の形成へとつながってくるのである。ヨーロッパの農耕を基盤とする新石器時代に始まる定住的なムラに住む集団の精神との根本的なわかれ目である。西アジアに端を発する新石器文化は、むしろ自然との対立関係へと進み、自然を征服すべき対象と見るところに大きな違いが認められる。

ムラとハラ
 
ムラは自然から切り取って我が物とした空間であり、木々や草々や動物、昆虫は追い出され、人工色を強めてゆく。
   ハラは食糧庫であり、必要な道具の材料を提供してくれる資材庫であった。即ち自然との共存共生以外にはないのである。
  ヨーロッパの農耕ムラが、ムラノの周囲自然を開墾対象、利用対象と見定める思想、精神との大きな違いである。ヨーロッパ流の自然観には縄文的ハラに由来する精神はなく、やがて自然を合理的に人間の側に組み込み制御する近代思想へとつながった。
 縄文人がハラにおいて自然との共生する道を取り、1万年以上のの歴史を体験してきた実績こそが日本的文化の力となった。

風景との対話と冬至
 世界各地の自然民族の間でさえ夏至、冬至、春分、秋分の日の出日の入りの方位位置を見定めて、年間の生活カレンダーの中に意味づけている例が多数認められる。その時こそ特別な日と定め、祭りを挙行したりする。特に冬至のマツリが意味を持っている。

 縄文時代の記念物
  縄文人の意識革命、それは遊動的生活から定住生活への転機に重要な意味があった。そして記念物の建立、それは人間宣言のもっとも象徴的な主張が記念物の建立である。記念物の象徴性、として百年かってストーンサークルを作ったと推定される。全く腹の足しにならない代物であったといえども、実は、だからこそその分だけの心の足しになったのだ。第一の道具と第二の道具との関係に相似すると述べている。
                                                                                                                (佐藤賢太郎)