2014.12.24
書くということ
佐藤賢太郎 

会員の大塚さんと話して私は思った。

一般的にしゃべることは好きでも、文章にする人は意外と少ないと思う。書く時間がない人もいるが、そうではないと思う。パソコンを使うようになって、私も文を書くようになった。ギリシャの紀行文を書けるのもそのおかげです。私は、書くことは自分の思いや考えをまとめることでもあると思う。 

何故、書けないか。私はうまい文章を書こうと、人の評価を気にし ないことにしている。それより、書く意欲、書く対象がないから書けないのでないかと思う。その理由を大塚秀夫さんは「それは何事につけ、物事を受け身でとらえているからでないか」と、ご自身が反省していました。 

ところで、ガンを治すためのウエラー・ザン・ウエルシンポジウムに参加して学んだのが、「綴り方」。一年間、真摯に自分を見つめること、それを言葉で、しかも文章に綴り、ガンを治してゆく様を見させていただきました。突き詰めてゆく中で、私は境遇が悪く育ったとか、運が悪いとか相手を非難するのではなく、感謝をもって、自分の心のあり方を変えてゆくのです。もちろん自分の思考だけでなく、他人からアドバイスを受けるのです。それによって自分を見つめるのです。

私は文章を頻繁に書いている。自分の生きている日常を書いている。経済的な糧を得るためでもない。書きたいから書くのです。それは生きるということなのだと思います。

大塚さんは、書くことが一杯あるが伸び伸びになってしまったと言っていた。さらにご自身の反省によれば、本を読んでも自分の生活に結び付いていなかったのでないかと言っています。ウエラー・ザン・ウエル学会の綴り方の成果を思うと、それは皆さんが自分の命がかかった生活が基盤でした。自分の命に、執着がなかったらその努力もしたくありません。壇上で涙ながらに、自分の書いた文章を皆さんが真剣に読んでいました。 

私も、書きながら学習し、考えを深めてゆこうと思います。書くことによって深まり、行動が呼び起こせるものと思います。