2012.04.21
コスモ夢舞台の始動本格化
佐藤賢太郎

いよいよコスモ夢舞台が本格的に動き出した。3月31日、遠藤孝士さんがキウィフルーツの剪定にお出でくださった。植物には時期があって、人間の都合に合わせてはくれない。

そして、大野さんが大雪で壊れた大切な味噌蔵の修復や5月のビオトープつくりの準備のために、4月18日から豊実にお出でくださっている。

大野さんが早々とお出でくださるにはいろいろな意味合いがある。
我が家の庭は他所に比べ広いが、会員仲間やお客様がみえるとすぐいっぱいになってしまう。昨年は中型バスも入った。そんなこともあり、池を三分の二埋めて駐車場にすることにした。ほかに和彩館の修復、滔滔亭のテーブルも石にするなどやることはいっぱいある。皆さんがお出でになるときには、コスモ夢舞台の施設は大きく変化しているだろう。

そんな時、大野さんの息子さんが蓮田から七重の塔を運んでくださった。それを池の後ろに据え付けることにした。

食事をしながら、いろいろと話し合った。コスモ夢舞台に賭ける私の信念と意志を率直に話す。大野さんと全て一致するわけではないが、心情的にも折り合いを見つけている。コスモ夢舞台は、普通のNPO法人とは違いがあることも語り合った。大野さんは豊実に来ることに情熱をかけている。そして大野さんの家族もそれ認め、喜んでいる。息子さんが帰る間際「親父をよろしく頼みますと」言った。大野さんは、「情けないが嬉しい」と言っていました。

ところで、時崎さんが工面してくださった資材を使い5月の作業を優先しようということになった。時崎さんの精神的な支えには心から感謝しています。コスモ夢舞台に賭ける情熱が嬉しいと大野さんとも話した。

 こうした会員の熱意でコスモ夢舞台は成り立っている。動けばやっただけのことがあり、やがて本人も感動をすることになる。

今日は池を埋めるために神主さんにお出でいただき、その後私は笠間に石を買い付けに行く。そして明日は、助成金申請のプレゼンテーションに新潟まで出向く。

コスモ夢舞台には終わりがない、生きている限り私の夢追いは続く。年だからできないということはない、夢が持てるかどうかだ、と73歳になる大野さんも言っている。

コスモ夢舞台はどこに向かっているのか、私の創造や個性(決して個人的趣味範囲ではない)によるところも大きいが、夢を共有してくださる仲間の存在はもっと大きい。

   そして大震災の後だからこそ、これからどう生きていくかを実行していくことは大事なことである。私は本当に忙しくなった。気力は十分満ちていますともかく、健康でないとここまでは動けない。