2012.4.28
山田神社
森 紘一

南相馬市鹿島町の海岸線を臨む小高い丘に山田神社はあった。ときおり小雨がぱらつき、吹く風は冷たい。423日(月)午前10時すぎ、仮社殿での祭礼は地元氏子の皆さんをはじめ、全国各地から集まった大勢の人びとの熱気に包まれていた。

  宮司の衣装をまとった、森 幸彦さんの誓詞を読み上げる高い声音とふたりの巫女さんの舞姿は、まるで能舞台を見るようで強く印象に残った。かつてのこの地を知らない私にも、粛々と進められていく儀式に込められた祈りが、次第に伝わって気持ちが震えてきた。

あの海岸線の向うから高波がここまで駆けあがって来るだろうか? 本当に、この辺りまで海になってしまったのだろうか? と、自問自答を繰り返してしまった。

祭礼の後、「北館集会所」で直会(なおらい)の席があり、我われも佐藤さんと一緒に同席させていただいた。厳しい現実の中で、日々の暮らしに立ちあがっている区長さんはじめ地元の皆さんの発言はこころに沁みた。

支援者の皆さんの挨拶も、ごく自然なあたたかい温もりが感じられてここちよかった。しなやかで揺るぎない連鎖であると思う。

社殿を寄贈されたのは九州の球磨工業高校、それを支援されたのは熊本県民の皆さんと南相馬の皆さん。ご神体や神社幕、注連縄、鏡などの奉納は全国各地の皆さんの支援によるという。こうした市民レベルのネットワークほど強い絆はないと思う。

思えば、森 幸彦さんとは2005年第2回縄文シンポジウムにパネラーとしてお迎えして以来のお付き合いである。今日は正装であったが、森 幸彦さんの打ち鳴らす太鼓は “縄文に帰れ、縄文に帰れ”という縄文太鼓の響きのようにも聞こえた。

我われコスモ夢舞台としても、これをご縁に南相馬の皆さんとの繋がりを大切にしていきたいと思う。来年5月の連休前に、山田神社の祭礼で再びお会いできる日を楽しみにしたい。

私事ながら、乗って来たクルマの不具合で、たびたび外部連絡のため中座した失礼をお詫びしておきたい。

山田神社で、逞しい多くの人びとに出会えたことは幸せでした。