2010.03.18
大倉山エルム通り
森 紘一

 豊実の味噌づくりに参加する前日(13日)の土曜日、〜我がまち港北を学ぶ〜「大倉山周辺の歴史講演と散策」というアウトドアー講座に出席しました。            

正味3時間ほど、あたたかい春風の中を大倉精神研究所 平井先生の名ガイドで、綱島から鶴見川を渡って大倉山まで、古刹や旧名主家、遺跡を尋ねて歩き回った。永年地元に住みながら初めて知ることが多かったが、それはそのまま新しい発見と驚きであり、予期せぬ喜びともなった。

東急東横線の大倉山駅の北西側を上がると、丘の上に大倉山記念館がある。梅祭りの季節ともなると、ギリシャ神殿を思わせる白い重厚な建物を取り巻く大倉山公園周辺は大勢の人びとであふれる。わたしも大倉山記念館は何度も出入りしていたが、その前身である大倉精神文化研究所の創設者 大倉邦彦の設立目的や設計者 長野宇平治が命名したというプレ・ヘレニック建築様式の由来については多くを知らなかった。

1932年(昭和7年)に竣工した研究所の設立目的は「東西両洋における精神文化の科学的研究を行い、知性並びに道義の高揚を図り、公民生活の向上充実に資し、もって世界文化の進展に貢献すること」と明記されている。また、この建物はギリシャ以前に栄えたクレタやミケーネ文明の建築様式を取り込みながら、細部には日本的な要素を織り込んだ東西文化の融合であるという。現在は、横浜市指定有形文化財となっている。

 さらに、東急東横線の大倉山駅前は、東に「レモン通り」、西に「エルム通り」、「オリーブ通り」といったモダンな名前の商店街が広がって明るく活気がある。
 特に「エレム通り」は、白い外壁の堅固な建物が目につく。隣接する港北区役所が1988年(昭和63年)に移転してきたのを機に、商店街の活性化を図って大倉山のシンボルでもある記念館のギリシャ風建築にイメージを統一して街並みをつくりあげてきたという。

 今まで気付かなかったのだが、大倉山記念館に向かう坂道の登り口に『不滅への飛翔』と題された像が置かれていた。これは、「大倉山エルム通り」が本場アテネの「エレム通り」と姉妹提携した記念として、1992年(平成4年)に建てられた道標であるという。

 我がまち港北を学びながら、「大倉山エルム通り」がいつのまにか「佐藤賢太郎と行くギリシャツアー」につながっていく不思議さに酔いしれています。