2010.10.13
雲外蒼天
森紘一

10月9日(土)曇りのち雨
 夜明け前に家を出たのは正解だった。クルマの数は多かったものの東北道から磐越道に入ると流れはさらにスムースになり、9時過ぎには豊実に到着した。
 小雨の降りだした豊実の空はどんより沈んだ墨色だったが、田んぼのアート展会場周辺に近付くと、地元の小学生と青年団お手製のカカシを先頭に彩りも鮮やかな作品群が立ちならぶ明るい空間が広がっていた。

 先着組の大野さん、荻原さんは佐藤さんとマキ子さんとの打ち合わせも済んで、それぞれの作業に入っていた。明日開幕の里山アート展と田んぼ祭りの開催を控え、やらなければならないことは山ほどあった。渡辺さんとわたしも、即臨戦態勢となった。

作品の搬入で乗り入れたミニトラックや長靴の泥で汚れた石夢舞台の清掃、仮設トイレを設置した楽屋前の整備、即売用の黒米の袋詰め、モミガラの集荷と散布など飛び入り参加の友人Oさんの手も大いに煩わすことになった。             
   滔々亭の石釜では、久しぶりに美紀さん手づくりの天然酵母のパンが次々と焼きあげられていった。

   夕食は、郡山から駆けつけた大島さん、ずぶ濡れで作品設置に取り組んでいた吉田さん、田村さん親子、衛守さん、田中さんの作家連中と明日の田んぼ祭りに出演する岩佐さんを交えての懇親会となった。作家の皆さんの里山アート展にかける熱いおもいが、我われにも直接伝わりありがたかった。

その後、浦和を15時過ぎに出発した大塚さんと大内さんも到着して、この輪に加わった。一方、外の雨は強くなるばかりで「いままで14年間、イベント開催日はいつも晴天だった」という佐藤さんの声も幾分湿りがちだった。賑やかな宴のあとは、明日の天気を全員で祈りながらのお開きとなった。

10月10日(日)晴れのち小雨
 目覚めたとき雨は止んでいた。和彩館の朝食時は、皆さんの笑顔もはじけて活気があふれた。                                
   ほどなく、常磐道から磐越道経由の御沓さんも到着した。「磐梯山辺りで、雲間に陽射しが出た時にはひょっとしたら」と思ったそうだが、「いやぁ、晴れたね」とほっとした表情だった。

 田んぼ祭りの開会は午前11時、それまでがまた大忙しだった。楽屋の更衣所入り口に男子用、女子用の看板を書かなければならないことをはじめ、クルマの進入禁止のビラを2か所貼る、田んぼの観覧席はぬかるんで利用できないので丸太の腰かけベンチを新たに用意して畦道に並べなければならない等など、すべてが緊急の応用問題だった。   
   その点では、大野さん、加藤さん、御沓さんはじめ皆さんの俊敏な動きは、日頃の鍛錬が際立っていた。  

 11時半近く、予定より遅れてスタートした田んぼ祭りは大塚さんの司会進行ではじまった。陽射しも強く、暑いほどの陽気となっていた。田んぼの畦道と国道側の歩道には200人近い観客が集まっていた。

 田んぼ祭りの演目は、和太鼓から地元の唄あり踊りあり、朗読もバリの舞踊もあって子供からお年寄りまで皆さんに楽しんでいただけたようだった。フォークソングと音響担当は、お馴染の“のっぺっぺ”グループの皆さんにご協力をいただいた。                 

里山アート展のオープニングイベントというよりは、地元の皆さんが参加する地元の祭事として、「奥阿賀・田んぼ夢舞台祭り」は定着していけそうな気配である。
   その意味でも、この夏の炎天下に完成した石舞台は、皆さんの期待に応えてその役割を充分果たすことができたようである。

さらに、石舞台の右手奥には杉の丸太のシーソーとアスレチックブリッジも作品として設置され、子供たちの人気を集めていた。
   また、会場入り口の船戸大橋手前には、今年初めて「若い衆の会」の飲み物、食べ物コーナーのテントも設置され、こちらも人だかりが絶えなかった。

コスモ夢舞台もNPO法人となった記念すべき年に、ようやく地元の皆さんと一体となって里山アート展を開催することができたといえそうである。
   地元の田んぼ祭りの出演者と出展作家、コスモ夢舞台会員との懇親会は、4時過ぎから和彩館で行われた。50人近い人びとの交流は、まさにお祭り騒ぎだった。

「夢は見るものではなく、つくるものである」「夢をつくる努力を怠らない限り、幸運はやってくる」佐藤さんの口癖の一つである。作業の日は雨でも、イベントの日は必ず晴天になる。今回もコスモ夢舞台の神話は生きていた。