2009.05.12
5月のコスモ夢舞台体験日誌
大塚 秀夫

5月3日
   豊実の山々が新緑で覆われ、四季に富んだ国、日本の新緑が美しい季節。5月のコスモ夢舞台が新緑とともに始まった。目的は田んぼ再発見地の整備と5月5日の歌声喫茶である。

すでに豊実入りのわれらが棟梁役のOさんは石夢工房で材料置き場として下屋の下地を完成して、トタンを屋根に張るだけとなっていた。会員Kさんと会員と体験をしたいというお客さんと3人で屋根のトタンを張り作業を終えた。いつもながら、作業の後は桃源の湯でゆっくりと心も体も癒される。温かな季節になり、今、風呂場から眺める景色がすばらしい。棟梁は風呂場のテラスやコンクリートのところで裸でも外に出て寛げるように池を囲むように塀をめぐらせた。

夕食は山菜尽くしで格別であった。人と人が語り、汗を流し、感動する時間であった。マキ子さんの歌声喫茶の打ち合わせ、リクエストした歌をお客さんが即興でマンドリンを演奏する。名曲「神田川」など自然とみんなで歌が口ずさまれる。歌声喫茶のリハーサルがマキ子さんを中心にいつまでも青春の歌声で盛り上がった。 

5月4日
   朝、6時作業開始、まず、完成した材料置場にいただいた材料をしまう。それぞれが取り出しやすいように納めた。朝食後、会員Eさんも駆けつけてくれた。地元有志も加わり、いよいよ田んぼ再発見地の整備だ。沢から水が自然に流れて、長靴を履いていてもぬかるんでいる。日本の農の歴史とともに悠久の昔から築かれてきたことを感じる。まず、山間の浅い谷にある田んぼの痕跡がわかるように雑木りんを切り倒す作業をする。素晴らしいタラの芽の収穫。新幹線で駆け付けたふくろう会幹事長が加わる。

藤の蔓が木に巻きついて、枯れ木になっている。3時間で田んぼの形が現れてきた。よくぞ昔の人はこんなところにもと思うところに田んぼを作り、米を収穫したものだ。田んぼは用水路を作るのが大変だから、沢から水が流れるところに田んぼを作ってきた。今日は3か所の田んぼを整備するという。午前中ようやく終了。石夢工房に戻ると棟梁が池の囲いの御柱が二本立ち、丸太が掛けてある。

午後からの二つ目の田んぼここには30cmはある蕨が収穫できた。どこも笹でいっぱいだ。鉈で笹を払うのに骨が折れる。草刈り機があるといいと思った。なんとか田んぼの形に復元した。帰りに急坂の道なき道を行く。往復するだけで苦しい。生まれて初めて自然の中で熊のフンを見た。3か所にあった。

田圃再発見最後の田んぼにいく。5メートルの幅の川が雪解け水なのか、水かさが増して川の向こうに渡れない。佐藤さんはそれでも何とかたどり着きたいと道を探す。渡るルートはダムしかない。そこから斜面を鉈で枝を払いながら進んでいく。ようやく辿り着く。こんなところにも田んぼがある。辿りつくまで大変なことだ。しかし、山椒の木が群生している。ここにはウサギの小さなフンが山盛りになっているのを見つけた。ウサギは同じ場所でフンをする習性があるそうだ。

いま、農家の人は田んぼをトラクターで水田をこさえ、田植えの準備で忙しい。こんなことをしているのは私たちだけであった。全く採算も効率もない、田んぼの整備に汗を流している。ここにどんな意味があるか。 

ある本にこんなことが書かれてあった。「地球創世以来、あらゆる生物は自然環境の変化に合うように自らの体を進化させることによって生き延びてきた。環境の変化に適応できた種は繁栄し、適応できなかった種は死滅した。これを進化主義という。」「この大地が育んできたものには、長い歴史の積み重ねが日本人の民族性に反映されてきた。我が国の祖先たちは、なりふり構わず時々の状況に適応して適者となり、他者を排除しながら自分だけがこの世をうまく生き延びようとする進化論者ではない。」とあった。

昔の人は、生きるためにこんなところでも米を作ってきた。しかし、これら山間の田んぼは今、原野となってしまった誰も見向きもしない田圃を佐藤さんは執念で自分の田んぼを確認した。そして私たちの祖先が辿ってきた生き方を今再生しているのだ。縄文シンポジウムで縄文の生き方に学んできたように、理想はすでに縄文時代にあった。無駄なくすべてを生かそうとする精神にコスモ夢舞台がめざすふるさとがある。

コスモ夢舞台夢の大きな共有価値観として佐藤賢太郎さんはこう語っている。

・一人ではできない、ふくろう会の仲間によって夢を実現する。

・人と人が語り、汗を流し、感動する時間を共有する。

・自然の素晴らしさや、大切さを体感する。

・地域社会に良い風を遺す。

   皆それぞれの生活価値観を持ちながら、それはそれでそれぞれが活躍し、ここに来たときは、以上のことをグループの共有価値とする。人生を楽しむ。その意味が実感として感じ取れる。

5月5日
   朝、一番に歌声喫茶の設営に忙しい。午後からの歌声喫茶に合わせて、作業は10時30分で切り上げる。こんなに早くに桃源の湯に行くと、まるで山の頂上にふろがあるような錯覚になる。おまけに囲いが完成して、裸のまま池のほうにも行ける。この開放感がたまらなくいい。テラスにもスノコが敷かれ、ここから見る景色は最高だ。        

1時開場1時30分開演。会場はあっという間に満席になってしまった。主催者マキ子さんから挨拶があった。「歌声喫茶に出かけた。みんなが歌で一つになっている姿に感動だった。これをぜひ、豊実でやりたい。」本当にマキ子さんがうれしそうだ。多分、3時30分が終演と決めてなかったらおそらく終わらなかったかもしれない。みんな名残惜しそうだ。この日はじめて豊実中学校の出身者が集まった。校歌が披露された。まるで、同窓会の会場のようだ。また、初めて会った人が肩を組み、歌う姿があった。まるで以前からの知り合いのようであった。第一回ということは、これから第二回と続けていくということ。マキ子さんは毎年一回でも続けたいと結び、第一回の歌声喫茶は来場者50名と大盛況であった。

5月6日
   翌日、佐藤さんと私はハスの池をポンプで水を汲みだし、鯉を捕まえる。水がだんだん無くなると鯉の白い腹が見えてきた。ニ匹を残し、三匹は石夢工房の池に放された。石夢工房の上の斜面では大野さんは木を切り、田んぼに日がさすように木を払った。何とか苗が植えられるように畔を作り、鍬で耕し、いつでも水を張れるようにした。今回のコスモ夢舞台は田んぼの再生だ。しかし、これまでの田んぼはとても再生とまではいかない。しかし、棟梁はまたしても、材料置き場をつくり、池の囲いを作り、田んぼも完成させた。昔の田んぼが再生され、今年の秋には黄金色の稲穂が実るだろう。

   奥会津書房の遠藤由美子さんの贈られたコスモ夢舞台の心象詩が思い浮かんできた。

“土と風が織り成す新しい世界には

絶えず感動が生まれている

  いのちきらめく人々が真実に向きあい響きあうとき

  古い建物が巧まざるアート空間として蘇り

  眠りから覚めた田畑には、実りが約束される

  それは日々積み重ねられる無私の情熱

  美しい水辺を取り戻そう

  自然に添う暮らし方を取り戻そう

  ふるさとにはいつもあなたの座る場所がある

  そのふるさとを共に創ろう”