2010.06.01
ギリシャ旅行報告1
坂内克裕

 帰国してから2ヶ月。主役の佐藤さんの紀行文も4月中に終わり、5月はギリシャの話題は出ず。ふくろう会の皆さんも旅行記を書き終わったようなので、今回おまけで連れて行っていただいた私の番かなと思い少し感想を書いてみました。

私は、参加が決まった時点でこのHPに一文を寄せて、今回のギリシャ旅行に期待していること3点をあげておきました。その結果について報告します。

その前にちょっと、旅行日程のおさらいをします。

3/26 成田発14:40  アテネ着00:20(3/27)    (ヘロディオンホテル泊)

3/27(午前)アクロポリスと新アクロポリス博物館見学

  (午後)公共バスでオリンピアへ移動   (オリンピアパレスホテル泊)

3/28(午前)オリンピア博物館とオリンピア遺跡見学

  (11時)送迎バスでアマリアーダ往復

   (公式行事)・地元プレスが待つ中、人魚像の前でリオシス氏らと再会

         ・海辺のレストランでの歓迎レセプション

         ・当時の佐藤さんの仕事場や宿泊ホテル等を徒歩で確認

         ・欧州文化首都パトラス2006参加の他の作品の見学など

(オリンピアパレスホテル泊)

3/29(日中)オリンピアで自由行動(一部はタクシーでアマリアーダへ)

  (夜)ホテルレストランでリオシス氏一行を迎えての返礼晩餐会

(オリンピアパレスホテル泊)

3/30(午前)公共バスでアテネへ移動

  (午後)アテネ市街散策と買い物(マリソル社訪問)

  (夜)夜景の綺麗な高級レストランで佐藤さん夫妻への感謝の食事会

                        (ヘロディオンホテル泊)

3/31(午前4時ホテル出発) アテネ発06:35  アムステルダム着09:05

     市街地見学後アムステルダム発17:40の成田行きに搭乗(機中泊)

4/1 成田着11:40  到着ロビーで解散セレモニー 

1 ゴルゴーナ(人魚)像は、どんな様子で我々を迎えてくれたか。

  彫刻家佐藤賢太郎氏が、「欧州文化首都パトラス2006」に参加して2006年6月の一ヶ月間、ギリシャのアマリアーダに滞在して制作してきた人魚像は、イオニア海に面した小さな港に設置されています。

  私たちが訪れた日はあいにくの曇り空で、風も強く肌寒い日でした。そのせいか、「ギリシャの青い空と強い太陽の光が射す中」白く輝いているはずの大理石像は何かくすんだ色をしており、正面をみると右目のあたりから幾条かの白い筋が右胸を通って下腹部まで垂れているのが目に付きました。はじめ海鳥の糞かなと思いましたが、よく見るとそれは大理石自体の縞模様で、「ギリシャからの手紙」でも「縞模様が入っていて具象作品の素材としてはとても困った。でもしょうがない。与えられたものでいい作品をつくるしかない。」と書かれていたのを思い出しました。

  ギリシャのある民話では、ゴルゴーナはアレキサンダー大王の妹で、今でも海にいて、時々船を停めては「兄はどうしているか」と訊ねるそうで、そのとき「何千年も前に死んだ」などと言ってしまうと、ゴルゴーナは怒り、海は荒れ、船は沈められてしまうので、「大王はとても元気で、世界の東の果てを征服しに行っている」と答えなくてはいけないそうですが、縞模様の顔は何だか、大王の死を知って泣いているようにも見えました。そしてこの縞模様を避けると、本の表紙の写真がベストショットの位置なのだとわかりました。

  それから、制作中毎日目にしていたギリシャのビキニ美人の影響が作品に表れているかについてですが、お尻は文句無く立派でした。ただし、顔に目を入れなかったのに合わせたためか、胸はお椀形2個を並べたようにデフォルメされていて影響を感じることはできませんでした。

  台座の下に設けられた2メートル四方のコンクリート基礎は記念写真のベンチになるはずが、周囲にステンレスの杭が設置されロープが張り巡らされて立ち入りできませんでした。別の場所で見学した他の参加作品が被害を受けていたので、どうやら落書き防止措置のようでした。そういえば、ギリシャ中いたるところで落書きが見に付きました。

  最後に、とても寒くて記念写真を撮ると直ぐにバスに乗って出発になってしまいましたが、もっとゆっくり見たかったという思いが残りました。なぜならゴルゴーナは、ギリシャ風に洗練されてはいましたが、腰のあたりに縄文女性の土臭さが残っており、これこそ佐藤賢太郎の作品と呼べるものに仕上がっていて、そして何よりも本当にギリシャの小さな港の風景にしっくりと溶け込んでいたからです。それはやはり、一ヶ月間という長期に亘り、その地に滞在しその地の風景に囲まれ、その地の空気を吸い、その地の水や食べ物を摂取し、その地の人々と酒を飲み交流したことが大きな力になったことと思われます。

一ヶ月間の苦闘の結果、両国の文化の「融合」は見事に達成されていました。

2 ギリシャの料理とワイン

  歓迎レセプションは、佐藤さんが毎日食事をしていたレストランで行われました。私たち一行13名と通訳の景子カテリーナ女史、送迎バスの運転手、副市長のリオシス夫妻とその秘書のバジリス夫妻、総勢19名が囲んだ長テーブルの白布の上には色とりどりの料理が載った大皿がところ狭しと並べられ、皿の食べ物が残り少なくなると待っていたように別の皿が追加されて、佐藤さんが毎日楽しんだであろう料理の数々を存分に味わうことができました。

  「初め、しょっぱくて食べたくなかった」と佐藤さんが本の中で紹介していたヤギのレタチーズも、切り分けたものとペースト状にしたものと両方が出ていました。食べてみるとそんなにしょっぱくはなくヤギ臭さもないので食べやすいものでした。ペースト状のものは生野菜サラダにかけて食べるもので、こちらはさらに薄味で生野菜の食味とあいまってとても美味しくいただきました。

  絶品なのは魚介類の揚げ物で、大振りの煮干にするような手のひらサイズの鰯の頭をとって揚げたものが大皿に山盛り出ました。そのほか名も知らない赤や白の魚、イカ、小エビなどの揚げ物が大量に出ました。それから、ポテトチップス、硬いパン、幾種類かの温野菜や生野菜サラダ、茹でた青菜、グレープフルーツのように大きなカットレモンなどなど、デザートのアイスまで全員がモリモリ食べました。

  ワインは、主に白で樽買いらしく700ミリくらいのデカンタで出ました。冷蔵庫で冷やすため口にアルミホイルで蓋をしてあります。すっきりとした味わいで、揚げた魚に良く合い、どんどん追加されるので沢山いただきました。

  オリンピアでは夕食に街中のレストランに行き、お勧めの地元料理とギリシャビールを注文してみました。ワンプレートにラム肉の煮込みとポテトチップス、薄く味の付いた長粒米の炊き込みご飯が載っており、別にパンも出ました。それに「ミソス(伝説)」というギリシャビールの大瓶。このビールはもともとドイツ職人が技術を持ち込み醸造を始めたもので、味はドイツ風で飲みやすく、ギリシャを代表するラガービールだそうです。ラム肉がビールに良く合い、締めて15ユーロ(消費税込み、約2000円)でした。

3 佐藤さんが滞在中親交を結んだ人々

  最初は、送迎バスで私たちを迎えにオリンピアのホテルにやってきた、秘書のバジリスさん。ホテル前で待つ佐藤さんを確認すると、満面の笑みでバスの窓から手を振り、バスから降りると佐藤さんと強く抱き合って挨拶。それは温かい親しみのこもったものでした。

  次は、ゴルゴーナの前で我々のバスの到着を待っていた副市長のリオシス氏。

地元プレスが取り囲む中、佐藤さんに会うとやはり満面の笑みでハグして挨拶。

本の中で佐藤さんと同い年と紹介されているレストランのオーナー、ディノ氏。

こちらは太鼓腹を突き出しながらも、みんなが見ているためか少しはにかんだように握手して挨拶。帰り際に、いつも佐藤さんの手紙を出してくれたという、ディノ氏の娘さんも登場して記念写真に納まりましたが、こちらも父親以上にはにかんで挨拶したのが好ましい印象でした。

 そして極めつけは、歓迎レセプションに同席したリオシス夫人。会も中盤になってワインが相当まわると、彼女は独特のしわがれ声で話はじめ、話の節目に「サトは家族の一員だから」と何度も言って、隣の夫に「それはさっきも言ったよ」と茶々を入れられ一同爆笑する場面もありましたが、「娘二人も会いたがっているから是非家にも来てほしい」などと話す内容は、本当に佐藤さんを家族の一員のように思い、親しみを持って話していることが伝わるものでした。

 こうして、佐藤さんがギリシャ滞在中に言葉の壁を乗り越えて心で理解し合い築いた親交の輪は、大理石のように強固で4年経っても健在であり且つ血の通った温かいもので、居合わせた私たちも幸せを感じられとても良い旅でした。