2013.04.04
カマルグ紀行5
佐藤賢太郎 

4月26日、外は少し寒かった。事務所のダイニングルームには磨家浩之さんと美濃輪朋史さんがパソコンを相手にそれぞれ事務処理をしていた。自分たちで、これから朝食の準備をすることになる。

私は玄米粉を練りながら朝食とした。キャンピングカーに泊まっている人たちが朝飯をとるためにダイニングルームにやってきた。ボンジュールとお互いに挨拶をした。彼らはパンとコヒーくらいで簡単に済ましていた。磨家浩之さんは珍しい野菜を煮ていた。少し味が薄かったので持参した調味料を入れて食べるとおいしかった。 

そして私は日本から持ってきた玄米粉、粕の漬物をフランス人に食べ見ないかと差し上げたところ、食べて頂けた。 

美濃輪朋史さんはパソコンを用意して、フランスで造園をした仕事を画像に入れていて私にも見せてくださった。こうした仕事に参加して何度かフランスに来ているようでした。あくまで、個人の造園家としてプロジェクトに参加していたようです。彼は控えめながらしっかりとした準備をしてこられたようです。

 さてこの日は、フランスの米作生産者3人と面会することになっていたので、フランソワーズ、エレンと一緒に生産農家に向かった。

はじめはレストランも経営しているお金持ちの農家に行った。散策しながら見ると、レストランの回りが全て畑や田んぼで、マクロビオテックな食事ができるリゾート的なところであった。建物の中で話し合ったが、落ち葉の断熱材を使っていたのには驚いた。家族総出で打ち合わせに参加し、田んぼアートプロジェクトに関心があるようであった。

 野外の田んぼを視察すると、16年フランスに住んでいる千晴さんという日本人ダンサーが駆けつけていた。磨家浩之さんとフランソワーズとは以前から付き合いがあったようで、今日会うことも予定に入っていたようだ。千晴さんとお互いに自己紹介をさせて頂いた。日本語が通じるので、ひとしきり里山アート展のことを話していた。

2軒目の生産者の田んぼに行った。ともかく広い田圃、一町の田んぼが一番狭いと言う。広い田圃になると向こうの畔が見えないほどである。田んぼアートをした場合、その保証はどうするのかと現実的な話をしていたようだ。

300町の米を作っていると言う。時間調整のため、田んぼ周辺で私たちは休んだ。青空の下、ただただ広い田圃の草原で私たちは寝転んでいた。私はなぜここいるのか、そんな思いになったが、これは貴重な体験である。3軒目の生産者農家、これまたとてつもなく広大な田圃。トラクターなど機械も見せて頂いたが、すべてが大きい。ここでも保証はどうなるかということが課題となった。

千晴さんはフランス語ができるので何か農家の方と話していた。私と美濃輪さんはその光景を見ているだけであった。

昼食をレストランでとることになった。私はご飯と野菜を注文して、そのつど少しワインもいただいた。今までなら顔が真っ赤になるのだが、ワインをなめる程度なので赤くならないようだった。

 この日の予定が終わり事務所に戻った。千晴さんも私たちと同じ事務所に泊まった。