2009.12.

2022.7.13

佐藤賢太郎

親友とは親しい友と書く。昔からの友達もいれば、今できる友もいる。人生の終りに近くなった時点で、私は悟ことがある。

昔、教員仲間の同僚であったことを思い出します。私が教師の時、トイレに行った。しかしトイレから出られなくなり困り果てました。「おーい」と声にもならない声で教師を呼んだ。その声に教師が来られました。

そして私が退職するとき、その教師・栗原先生が校長先生から私が辞めないようにしてくれと諭されたようです。その後、その先生も退職され作家の仕事に就きました。その彼が2度目、豊実にやってきまして、縄文住居で話した。その前に彼には、いろいろと労働ではない体験をしていただいた。昔を知っている彼であり、今の私に驚いていた。彼はもう一回、ゆっくり豊実に来ると言いました。 

高校時代同級生であった友人がいる。それは私の作品を持っている友人です。当然、私に関心があります。宮川君の家でおいしい蕎麦をいただきました。その後、会津土建の社長に合わせたいといいます。昔からの付き合いがあったようです。なんと会津土建の社長とは、会津葵の五十嵐大輔さんを通じての知り合いでした。25年前から私は知り合いでした、社長は新しい豪華な建築物を作りました。なんでもこだわっているようでして、無垢の桜の木、張り合わせでない緑の石で構築しています。その建物は、若い女性ばかりが目立つ洒落た食事処となっています。