2011.03.27
「下村集落地域復興デザイン策定」講演会
佐藤賢太郎
雪深い静かな田舎村、小千谷インターから近い長岡市小国町横沢の区長さんが「下村集落地域復興デザイン策定」を進めていた。
そのコンサルタントとして関わっていた池井さんから、昨年私の話を聞いて元気が出たので、是非下村で話をしていただきたいという依頼があった。そこで、私は3月26日に行って参りました。豊実に似ている田舎を道に迷いながらやっとたどり着きました。
当日は講演会と言うよりもホットな話し合いの場でした。池井さんは本題に入る前に、自己紹介で「震災で私は何ができるか」を全員に話してもらいたいと言われました。講師の私も、会員の小宮和己さんも話しました。
総代(区長)さんが記録書類を出し、中越地震の時はおにぎりや物資の支援をしていただき、お世話になりましたと述べていました。
驚いたことに全員が「私は米30キロ」「義捐金を出す」「節電をする」ということを明快におっしゃっていました。やっぱり皆支援していただいている経験から実践に踏み出しています。
池井さんは「この事業は震災復興のための事業であり、私たちの事業が実ることが東北の震災の方々に勇気を与えることになることを願います」と結んでいました。
このように一通り終わった後、1時間ほど時間をいただき私の講演となりました。何にもない過疎という共通点があり、皆さん感心深く聞いていただいたようです。今回は玄米菜食から発展して食についても話しました。
私の話が終わってから、司会者がどう感じましたかと参加者に振ってくれました。答えてくれないのかと思っていましたが、それぞれ答えてくださいました。若い方、おばちゃんたち、大工さん、カメラマンその他いろいろの方々でした。
懇親会になりましたが、例によって私は一滴の酒も口にせず、ウーロン茶でした。年配の大工さんが「俺も何かやれるかな」と私のテーブルに着いたり、食に関心があるという若い女性と話し合ったりしました。総代さんや皆さんから、今度豊実に泊まりに行こうと声が上がりました。
コスモ夢舞台と決定的に違うのは、地元の方に何ができるのかをコンサルタントの方が仕掛けて動かしているところです。コスモ夢舞台は私たちが先行して動いてきましたが、下村集落は、これから外と交流をしようとしているところです。
夢を抱くこと、デザインを作ること、これは地元だけでは難しいのです。しかし、助成金は地域参加型でないとなかなか難しいのです。
我われの場合は、地元に住む私がむらの総意を待たず自分がしたいことを仲間と夢を創ってアートで助成をいただいてきました。さらに、アートだけではなく次々と加えて、地域の活性化を目指し、地元との連携をとり始めています。コスモ夢舞台もようやく行政の目にも留まり始めたところです。今までは、作家として作品を作るようなものでした。
地域活性化は、よそもの、若者、ばか者がつくると言われています。一人ではできませんし、損得なしに夢を追う人間がいなければなりません。机上では決してできません、動く行動力がなければなりません。継続すること、人間関係を作ることがとても大切です。
その点、コンサルタントの池井さんは村の方とコンタクトを上手にとっていらっしゃるようでした。やはり、このような方がいなくては村の方をまとめることは難しいと思います。
最後に、会員の小宮和己さんが実家に近いということもあり、一緒に参加してくださり、会員の一人が応援してくださったことに心より感謝いたします。
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