2014.08.15
作品「絆」完成見学ツアーに参加して
大塚秀夫 

東京からアテネまで9520km。芥川龍之介は「ギリシャは東洋の永遠の敵である。しかしまたしても心がひかれる。」と言った。 

佐藤さんにとっても2006年以来、日本から彫刻を作りに海を渡り、パルキ港に作品ゴルゴ―ナを建立された。 

このたび絆の作品は海水浴客でにぎわうクルータの広場に建立された。7月27日制作現場クルータに到着。2010年に訪れたときは3月だったので海水浴場には人はいなかったが海水浴客でにぎわっていた。時崎さんは見たことのある風景を見ながらやや興奮気味であった。 

作品はふくよかな力強い女性像だ。佐藤さんはなにか高揚されている。間に合わないと思った制作を見事にやり遂げられた。ぎりぎりまで制作されていたことがわかる。ギリシャに来てまで私たちは作業を手伝うとは思わなかった。電気コードを運ぶ。これが4人でやっと持てるのだ。佐藤さんは重いコードもたった一人で片付けていたのだ。 

このたび絆プロジェクトを推進してくれたのがアマリアーダ市の元副市長だ。このたび市長選があり市長が変わり、ご本人も8月末で副市長を降りられる。しかも腰痛を患われ、特別な治療を毎日診療されていたことが解った。また、奥様の親戚に不幸があり、大変な状況であることが懇親会の席上で初めて解った。

 奥さんはこのような話をしてくださった。「ドイツ人が来たときギリシャ人を見てなかなか働かない。やることが遅いと辛辣に批判した。あなたたちが猿のような生活をしていた時、私たちはパルテノン神殿を作った。しかし、やるときはやる。完成させる」とリオシスさんの奥さんは言う。また「ゴルゴ―ナがサトーを待っている」と言われた。さらに「サトーに会いたくなったらゴルゴーナに会いに行く。そこには佐藤の一部がある。」この表現をうかがったとき、古代ギリシャでは様々な神々を祀る。同じように日本人は森羅万象に神々が宿ると考える。日本人と共通する情緒を感じることができた。 

オリンピアでは競技で優勝すると英雄の証として野生のオリーブが与えられた。そのオリーブをモチーフした冠を佐藤さんが授与された。さらに名誉市民権がアマリアーダ市の実行委員会より認定された。 

2006年ことばも解せないとき、リオシスさんはオリンピアの遺跡を案内してくれた。お互いに慣れない英語で話した。リオシスさんは言う。「2006年サトーがやってきた。1か月何もすることができなかった。サトーはそれを嫌な顔一つすることなく受け入れて私に付き合ってくれた。サトーの人間性には愛があふれていた。」と明かしてくれた。 

絆は海から上がってきたように私には見える。『ゴルゴーナ』も『絆』も具象である。

古代ギリシャの時代に彫刻が完成されている。佐藤さんも「ギリシャの彫刻のようにはできない」という。彫刻の技術やテクニック以上の人間性に引き付けられた。ゴルゴーナと絆は兄弟である。まさにリオシスさんと佐藤さんの関係が兄弟のように太い絆が感じられる。