2012.12.01
有難い出会いに
佐藤賢太郎

近頃思うことがある。

例えば世間では、大学教授とか有名人とかの話なら権威や人気を頼りに受け入れやすいようだ。その反対に、何も肩書がないと価値が低いように思えてならないようだ。しかし私は、権威や肩書がなくとも誇りをもとうではないかと思うようになってきた。たしかにそれは、自分に自信がないとできないであろう。

 先日、ずいぶん昔にご縁のあった会津の曽根さんが、住職の奥さんである鮫島さんと一緒に来訪されました。それは、寺に地蔵を作りたいとの話であった。奥さんは、ずいぶんあちこち地蔵を捜し歩いたが、気に入った地蔵は見つからなかったそうです。

寺に地蔵をつくろうとしたその成り行きを聞いた後、私の彫刻家に至るこれまでの話しを聞いていただきました。その時、私の作品や生活スタイルに大変関心をもたれ、是非地蔵を作っていただきたいということになり、この度いわき市から住職さんともどもお出でになりました。

道路工事中のためか、約束の時刻が迫っても到着しないので道に迷ったのかと心配してしまいました。

遅れたわけは、大学に進学している息子さんをこの席に同行させたいとの奥さんの願いがあったようです。わざわざ東京からの新幹線を乗り換えて呼び寄せてくださったようです。それも大学の授業を置いて、この山奥で私の話を聞かせたいという、奥さんはよくぞそこまで思い切ったものだと思います。勿体なくも有難い配慮でありました。

 作品制作についての話を早速させていただき、その他もろもろの話もしましたが、このお寺には子供さんが大勢集まり、般若心経を声に出して小さな手を合わせるそうです。そして誰も注意していないのにスリッパを自分できれいに整えるそうです。その姿がとてもかわいいと言います。

思わず私は「凄い教育ですね。国際化で英語を覚えさせることに懸命ですが、今こそそのようなことが必要だと思います」と言いました。目に見えないものに価値を置く生き方は大切ではないでしょうか。今私があるのは、そうした生き方の積み重ねであって、多くの嬉しい出会いをいただいています。それもすごく有難い出会いをいただいています。  

   言うまでもなく私の努力ではなく、目にみえない力をいただいていると確信しています。  ところで、いわき市の龍雲寺に私の地蔵を作り、小さな手を合わせる子供たち、おじいちゃんやおばあちゃんの姿を思い浮かべますと、とても嬉しくなります。

早速、思いを込めて地蔵の制作にかからねばなりません。そしていつか私も、写経や座禅、食事をセットにしたお寺の催しに参りたいと思います。皆様もどうでしょうか。