2012.08.18
2012花火
佐藤賢太郎

今年は千葉県習志野市からマクロビオティック料理希望のお客様を迎えての花火大会であった。勿論食事に関心がある方で食の大切さを知っていて楽しかった。そこに新潟から花火を見に来てくださった伊藤千賀さんが娘さんと共に見学することになった。花火は7時半から8時までであったが、毎年滔滔亭に集まる人は変わります。若いお母さんが一歳の子供を連れてきたが、花火の音に驚き、怖がって泣いてしまった。豊実の花火が山々に反響する音はすごい。

花火は一時のことです。華々しく、あっという間に終わるのが花火の代名詞のようである。これを人生に例えることもしばしばある。華々しく、しかしパッと夜空に散ってゆくのが花火。

花火の写真を見ているとまさに華々しく夜空を彩っている。ふと、私の人生は細く長いのか、それとも花火のような人生なのかと考えてしまう。花火のような時もあれば、しぶとく細く長く生き延びようとするときもあるから一概に選択できるものではない。

このところ、ポツリポツリと豊実のコスモ夢舞台には知人が訪問され、ゆったり話をして帰られる。人生はまた、楽しからずや、といったところである。

ところで、朝は5時半か6時に田んぼの稗刈に行く、どうしようもないほど稗がはびこって稲が負けている所が多い。このままにしたら、来年は稗の田圃になってしまう。したがって、仕方なく田んぼに入る。無農薬の田圃の難しさを今年も味わっている。もう止めたいというと、家内は「そんなことを言うくらいなら理想など言わない方がいい、すぐあきらめるのだから」と今年も言われてしまう。 

しかし田んぼに入り、田圃のこの稗を見ると稗が余りにも多く、気が遠くなってしまう。人手がいくらあっても足りない状態である。結局家内と2人でやるしかない。この時期はもはや稗抜きではなく稗刈、ものすごい稗を刈っている。私は農作業にはむいていないタイプかもしれない。

これは花火とは対照的な生き方なのだろう。しかし、人生は稗刈りのように辛いことがあるからこそ一年に一度、パッと花開く時も必要なのだろうか。今年も花火大会は終わった。健康で見学できることは幸せなことである。足元に感謝を見つけたいものです。