2016.02.05
きたかた応援大使
佐藤賢太郎 

この度は、職員との意見交換会に参加させて頂きありがとうございました。失礼は承知の上で、その時の感想を申し上げます。 

昨年暮れ、きたかた応援大使を承諾するかどうか私は考えました。何故なら、応援大使と言っても実質的に役立っているのか、肩書だけで、名誉職に満足するようでは、時間の無駄だと思ったからです。失礼ながら、ただ大使制度の継続で終わっているように感じました。私の他にもそう感じている大使もいました。 

しかし、私は承諾いたしました。第一に私は喜多方高校に学び、喜多方市にお世話になってきた恩があり、何らかのかたちで市の発展に貢献をしたい、そして大使の皆さんや、市の職員の方々との出会いに期待したからです。

動いてこそ感動はやって来る。今回参加して無駄だと思ったら、最後かも知れないと思いました。

 それぞれの大使の個性を生かすようなことがあれば、多少とも喜多方市が発展してゆくものと思います。その観点から、職員との意見交換会は一歩前進があったと思います。しかし職員も私たちも、もっとそれぞれが思う本音を話せる場になれば良かったと思いました。 

分科会において、文化振興の大切さを私は話しました。アート活動をしている私としては、創造性という点で、喜多方市の風土にそれが感じられるようにしなければならないと思います。町興しにしても、物産販売にしても創意と工夫が大切であります。

放射能汚染による風評被害を何度も聞いていますが、それを逆手にとってアイディアを出すことも大切です。 

喜多方市の道路は整備されました。その努力は感じますが、特徴がないことが残念です。いくらラーメンと蔵の町と言っても、それだけでは前進はありません。蔵もラーメンも生かされておりません。

また例えば、「愛なき人生は暗黒なり、汗なき社会は堕落なり」と生涯を教育や社会事業にささげた蓮沼門三や戊辰戦争で敵味方の別なく看護し、“日本のナイチンゲール”といわれた瓜生岩子の精神はどこにいったのでしょうか。

私に言わせていただけるなら、市役所にはアートが感じられません。アートが醸しだす豊かさや感性を育てる工夫が喜多方市には必要ではないかと、数人の大使と話しましたところ、私の思いに大いに賛同してくださいました。 

最後になりますが、第12回里山アート展の冊子をお送りしますのでご覧いただけたら幸いであります。近々私は市役所に出向きますので、お話しをさせていただければと思います。