2014.12.18
介 護
佐藤賢太郎 

私は今年66歳になった。この年になると、ガンと介護の体験する方は多くいると思います。以前私は、まるで他人事のように思っていた。特にガンは他人事であった。介護も他人事であった。時が経ち、私も変化の時を迎えた。ガンは克服した。しかし私はガンになりやすい体質のようで、油断大敵である。

さて、本題の介護です。母は春までは、畑で転びながらも野良仕事をしていた。今年私がギリシャから帰国したあと、秋口からめっきり体力がおち、自分では歩けなくなってしまった。

91歳になる母は、過去一度雪の中で低体温になったが、死なずに埋まっていた。よく生き延びたものです。そして、冬に2度も池に落ちてしまった。この時も風邪一つひかなかった。ある時は熱湯をかぶってしまった。無事回復してくれた。生命力が強いのであろう。その母が、今私たち二人の介護なしでは生きてゆけない。 

朝、私たちは母を起こし、リハビリパンツを取り換え、ズボン、靴下をはかせる。まるで子供のようだ。そうしたことをしていると、このようにして母は私を育てくれたのだと思う。それから私は、母の両手を引いてストーブのある椅子にやっと足を引きずって歩く。「よいしょ、よいしょ」と声を出して歩く母。これで先ず一段落。

それから口の中の清掃、ぶくぶくうがいをして、歯を入れてもらう。もちろんそれは一人ではできないので、私たちはその手伝いをする。母は座ったままである。それから食事のテーブルに連れてゆく。そして介護用のエプロンをかけてあげる。調子のいい時は口に運べるのだが、母はなかなか口に食べ物が入らない。手が震えてしまい、大好きな味噌汁もこぼしてしまうこともしばしばである。

食事が終わり、便秘薬やその他の薬を飲ませる。そしてデイサービスに行く準備をする。その車に乗るまで、そばについている。そして4時頃帰ってくる。母はありがとうと感謝の言葉を言う。 今は冬だから私たち二人が付いているからできる。来年の春からは毎日デイサービスにお願いするしかないと思っている。

一般的には、親を早く亡くした方や次男坊ならば経験しないだろうと思う。私は長男であるからそうするのが当然であると思う。

母は意識がハッキリしているので、私はまだいい方だと思う。介護に疲れたという人の声も聞きますが、解る気がします。しもの世話などは家内がいないと困ってしまう。女のたくましさを感じる。しかし二人いないと介護できない現状である。

確実に時の変化を感じる今日この頃である。しかしながら、命ある限り、どこまでも理想を追って夢を追いかけてゆこうと思う。