2017.12.22
取材
佐藤賢太郎 

本日21日は待っていた取材日でありました。幸いなことに、雪国には珍しく晴れの天気でした。

到着早々、撮影場所の田んぼに、犬を連れてご案内しました。私は雪国に住みながら「かんじき」を使ったことはないのですが、取材で藤井さんが来てくれるので、我が家にある「かんじき」を事前に履いて練習しました。

こうすればいいのかと分かりました。そこで、撮影場所で「かんじき」を使いました。藤井さんは途中で脱げたりしましたので、わたしが直してあげました。私の姿を見て、慣れていると思われたようですが、使うのは実は初めてでありました。取材というより、かんじきを履く講習会になってしまいました。

なぜこの田圃に案内したのかも話しました。私の生き方や、雪の中にある里

アート展の作品についても説明しました。和彩館に戻り、家内が腕によりをかけた美味しい料理を食べていただきました。

次に工房を案内しました。ここから明日薪を運ぶのです、薪を運ぶために、沢の水を使っていますと詳しく説明しました。

次に展示館・ホスト館を案内しました。20年の軌跡を簡単に説明しました。自宅に戻り、ガンになってからの話をしました。教師を辞めて彫刻家に成るまでの話をしました。

この間、応対や質問などがちぐはぐと感じるなら、私は物足りなく感じたでしょうが、藤井さんは事前にホームページをご覧になったようで、私がガンになってからのことをご存知でした。日頃、川竹文夫代表のそばにおいでのご様子です。取材する下調べは当然なのでしょう。家内が途中で同席して、ガンの話に加わりました。私たちは気持ちよく話ができました。 

藤井さんの年齢は解りません。歳を重ねれば、だれでもそうなるものではありませんが、充実した生き方をされた方のようです。

これからの希望についても話し合いました。私は自然が一杯のこの豊実は、人が住むにはまたとない素晴らしところではないかとも言いました。私にできることがあるなら、皆さまのお役に立ちたいと結びま