2016.01.02
雪の少ない正月
佐藤賢太郎

元旦、私は愛犬チロを連れて、雪も無く太陽が見える中を散歩した。こんな経験は初めてであった。温暖化か解らないが、それは私の過去を振り返る散歩でもあった。ガンの患者から音楽CDを頂き、それを聞きながらの散歩であった。 

悠悠亭を見ると、3年かけて仲間と作った在りし日のことを思いだす。川の石をかいくぐって流れる水が綺麗であった。マイナスイオンも一杯だろう。森英夫さんと冬に歩いた雪道に差しかかった。 

そしてそこに、家内と木を切り倒した田んぼがあった。坂道を登ると高台に上がる。ガンになったとき、命はいつまであるかと思いながら登った道であった。 

麦生野という集落に差しかかり、山道の谷あいを歩いてゆくと沢があった。ここは大塚秀夫さんと、小松原高校の生徒と寝ずにキャンプを張ったところであった。マムシ沢というのは、何時マムシが出るか解らないからついた名であった。何を食べたか解らないが、墨入りの料理も食べた記憶がある。

そこからわずかの谷底に、思い出の深い線路が走っている。私が彫刻家に成る前の事であった。傾斜45度の上に、道がある。そこから、私は耕運機ともども落ちてしまった。幸いに線路に乗り上げず、運よく溝にはまって止まった。怪我もなく、よく生きていたものであった。耕運機はキャンプのための荷物を運んでいた。父に助けてもらったことを思い出す。

父は何も言わずに、ユニックで引き揚げてくれた。大塚秀夫さんもそこにいた。私たちは、鉄道線路を生徒たちが歩くので、気が気でならなかった。キャンプが終って、安全な家に寝ることがどんなにありがたいことか体験したのであった。

それから森林が見えてきた。鈴木隆雄さんが怪我をしたところであった。木を切っていて高いところから落ちたようである。いろんな思い出がある道であった。最後には里山アート展会場が見えてきた。ここは長年、里山アート展として参加していたいただいた仲間との思い出がいっぱいある。

 こんなエピソードを書くことができるのも、私に命が与えられているからである。