2010.12.25
ディレクター氏に語る
佐藤賢太郎

今日、寒波が到来し吹雪く中を、新潟からあるテレビ局のディレクターが一人でお出でになった。1月末放映予定の旅番組の取材準備のためのようですが、私は何の番組かをたずねもせず、勝手にコスモ夢舞台の話をさせていただきました。

家内も話しに加わるなかで、私は言いました「農なら農、食なら食、彫刻家ならその道一筋というほうが分かりやすいでしょうが、私の話はあれやこれやと飛んで、何を焦点にして取材してよいか分かりにくいかもしれませんね。一言で言えば、桃源郷つくりのなかで“感動ある人間交流をすること”です。これを焦点にしてさまざまなことをしています。この時代に、どうすれば感動ある生き方ができるのか。関東から仲間がその夢つくりに通い続けて、15年間汗を流してきました」

「また、例えば過疎の問題は今日的な問題ですが、過疎においてできることを仲間とともに次々と提言しています。都会に住む人も考えなければならないことであり、日本全体の課題です。旅や食もいいけれども、こんなことに取り組む人間たち‘コスモ夢舞台の人間たち’をテーマとしてテレビ番組が作れないでしょうか」とずうずうしく勝手なことも申し上げました。「いいですね」と微笑まれました。「うーん」と難色を示されないところが私には嬉しいことでした。

ディレクターの方は「いつから彫刻だけでなく、いろいろなさるようになったのですか」と質問されました。私は「それは何十年ぶり出会った故郷の風景の美しさに感動して、この地に仲間と語り合う東屋を作ったのをきっかけに、次々必要に応じて作っていくうちにこうなったのです」と答えました。

さらに、3月にギリシャに行った時、迎えてくださったアマリアーダ副市長さんが来年彫刻制作にお出でになりませんかと言っていただきました。私は「世界中が経済重視に奔走しているとき、こんな片田舎で暮らす無名の日本人彫刻家が、ギリシャのある市で彫刻制作して日本とギリシャの友好広場と命名する、つまりギリシャの人々と心をつなぐ。これなど良い番組になるのではないでしょうか。相手の受け入れがあり、健康が許される限り、私は来年にかけてみたいことの一つです」というと、大変関心を持たれたようで、実現する時は電話くださいとのことでした。「そのときは同行されますか?」と思わず言いました。仲間の応援をいただきながら、来年この夢は何とか実現したいものです。

こんなことをテレビ局の方に話せるのも嬉しいものですが、「彫刻家と聞いていたのですが、ともかく幅広いことをされているのですね」と楽しく聞いていただけたようである。

外は猛吹雪、帰りの車は我が家の駐車場からようやく脱出できました。