2010.01.04
田舎の葬儀
佐藤賢太郎

 平成20年に父が亡くなり、はじめて田舎の葬儀を体験することになった。それまでは関東に住んでいたので、友人知人のご両親が亡くなられても簡単な葬儀に参加するだけであった。

 ところが田舎に帰ると、肉親や親戚の葬儀にたびたび出席することになった。今年1月2日、102歳になる親戚のおばあさんが亡くなり、親戚として葬儀に参加した。父親のときは、何だかわからない間に葬儀を執り行うことになった。今回は田舎の葬儀を通して人間の暮らしを考えてみた。

 まず、喪主に当たる方が村の親戚を呼び集める。そこで役割や葬儀の準備がはじまる。出棺は玄関ではなく縁側から出すので、冬の季節は縁側に積もった雪かきからはじまる。その出口に葦を門形に組み立てる。それから坊さんに来ていただき、枕行を執り行う。

 昔と違い、当然葬儀屋さんがその準備に当たる。したがって、村の方の仕事はすごく減ったと老人たちは言う。一番大変なのはお墓掘りで、冬などは特にきつい仕事らしい。昔は土葬だったため、雪をどかして6尺(つまり180センチ)地面から掘り下げたそうです。土葬が何代も続いているので、前のお骨が出たりもするそうです。穴掘りは親類ではない、縁の遠い方がその役回りになるそうである。このつらい仕事をするので、特別高級な食事が出されたそうである。ともかく仕事がいっぱいあって、休む間もないのが葬式という儀式だったようである。ところが今日ではやることがないので、集まった親戚は食べること飲むことが仕事だという。早速、村の方が顔出しといって線香を上げに全員がやってくる。

 さて翌日、納棺が始まった。それこそ血縁の親類縁者が手を拭き、顔を拭き、白足袋をはかせ手甲を付け、額に三角の鉢巻をつける。釜が胸においてあったので、何の意味なのか聞いてみると、それは魔よけだそうである。そして六文銭を首にかける。これは三途の川を渡る、渡し賃だそうである。まさに死んでから、あの世に旅たつということらしい。お別れに際し、花を納棺に一人一人入れる。

 火葬場に行くのはごく親しい親戚の方々で、私は行かなかった。大体なぜ、この家と親戚なのか分からない。今生きている人は誰も分からないが、昔から親戚であったということらしい。

 火葬場へ行かなかった私たちは、遺骨になって帰ってくるまで、ただお茶を飲み何時間も待つだけなのである。この忙しい時代に、こんなことをするなんてと私は思ってしまう。さて夜になると、村の方が集まり念仏が一時間近く執り行われる。翌日、坊さんにおいでいただき告別式が執り行われ、のちに喪主によって忌中使いが出され、その方々が別席でおとき(会食)が行われる。

 今回はこうして4日間の葬儀に立会った。そしてこの田舎の葬儀を通し、昨今人の命、死というものがあまりにも軽い扱いになっているなか、人の尊厳やあの世にいった生活があると信じていた祖先たちが、親類縁者のつながりを大切にしていたということを感じた。

 これでも昔に比べたらものすごく楽になっているそうで、ある高齢の方から「賢太郎さんはここに住んでいなかったボンボンで、楽をしてきたから葬儀の苦労を知らないのだ」というようなことを言われた。

 ともかく村に入るとは、こういう付き合いを一番大切な掟にしていくことであり、どんな立派なことを言っても認められないことを否応なしに理解できるのであった。地域を起こすということも、こういうことをこなしてこその話である。今年も新年早々忙しくなりそうな予感がする。