2009.07.30
宮沢賢治の地に作品
佐藤賢太郎

盛岡の地に私の彫刻を設置することになった。それは北海道の「アートナウ」というアート会社からの推薦であった。如何して盛岡なのに北海道からなのか不思議であった。それはともあれ、十回以上の電話のやり取りで制作いたしました。わたしは完成した作品を盛岡に自分の車で運びました。盛岡は遠い道のりでありました。地元の石屋さんが設置してくださり、無事設置することができました。

 さて30日、除幕式が執り行われることになり、私も招待されて挨拶することになった。盛岡市関係者、幼稚園、地元の方々が集まり、新聞テレビなどのマスコミ取材もあり100人を越える人々が集まった。幼稚園園児、副市長、積水支店長、自治会長、それに私で除幕をしました。そして作者の挨拶として(少し説明も加えています)以下のようなことを述べました。

 如何して私がここに居るのだろうかと思いますが、わたしは天の導きとだと思います。昨日の雨から、本日の天気予報は99パーセント雨と報道されていたのに、早朝に晴れ上がってしまいました。天の采配は分からない、これも天の導きでしょう。

 ところで、盛岡と言うと私は宮沢賢治を思い起こします。以前、宮沢賢治にかかわる書籍を買っていました。それを携え新幹線に乗り車中で再度読むことにしました。それは宮沢賢治と再会することでありました。“雨ニモマケズ、風ニモマケズ、、、、、ソウユウモノニワタシハナリタイ”と有名な詩がありますが、その詩は好きですが私は程遠い人間です。また、北上川の岸辺をイギリス海岸に見立て、盛岡を彼独自の理想郷として創造して描いています。宮沢賢治は現実の世界に理想郷を創って、人々に夢を与えていると思います。

 私は関東の地から過疎の郷里に帰り、今夢舞台を作っています。農家民宿として和彩館というレストランを開いています。そこに宮沢賢治の「注文の多い料理店」という看板を5年前から掲げています。先日エストニアから40人の少女合唱団が来訪されました。世界的にも有名な合唱団で、妖精ともたたえられる彼女たちに、田んぼで歌唱して頂きました。これも夢を描けばこそかなった出来事です。

ところで、積水ハウスさんからの依頼によって制作しましたが、なぜふくろうだったのでしょうか? 私は今まで、数多くのふくろう作品を作り全国に設置させていただきました。東京の渋谷駅前にも置いています。ふくろうは知恵の神とか幸福を呼ぶ鳥として、世界中から良い意味に受け止められています。希望を持って夢を生きることは大切だと思います。積水ハウスさんは、建物が作られる前から街つくりとして何処にもない企画を立てられたことは素晴らしいことだと思います。

   ハード面や効率だけを優先するのではなく、心の豊かさも企画されているところに、宮沢賢治の描く生き方、理想に通ずるものがあると思いました。この彫刻によって、この地域が潤いのある街になっていただけたら幸いであります。この度はありがとうございました。