私の作家スタイル
佐藤賢太郎

先日、郷里の村の方に誘われ、一杯(飲み会)に出ました。すると、むらの方から、地域起こしをよくやっている、応援したいという声も出てきました。
私が村の方と付き合いが下手だと本音で言ってくれる方もいるし、さらに「イベントの企画をするよりも、佐藤賢太郎は作品を作ることの方が大切ではないか」という声もしばしば耳にします。正面切っては何も言わなくても、私の行動に関心を持つ人や、批判的な目で見ている人様々ですが、確かに注目されているようです。

そこで、この機会に、私の考え方を述べることにします。
作家とは夢を創り、生き方を考え、それを彫刻にして表現し、提言することだと思っています。もちろん、いわゆる造形作品を作ることが第一義だとは思っていますし、そうしたいとも思います。
だからこそ作品は人物や動物、縄文人を作ったりと試行錯誤をしながら、自分探し、生き方探しを作品に反映してきたのです。 

ところで、イベントはゆとりがあるから企画しているわけではありません。
作家になった当初、私は生活をするためにのみ働き、個展に追われていました。しかし、何の為に作家になったのか、最もの根本に戻って考えたとき、それは「夢を創り、生き方を考え、表現する」ということなのだと改めて気づいたのです。

このことから、寂しい過疎の地に少しでも夢を創れたら、それこそが地域にも貢献できる、生きたアーチストの表現ではないかと思うのです。 

私は、都会を中心にしたところでの作品発表に終始し、晩年、郷里に帰るというスタイルをとりませんでした。それは自分の意思だけでそうなったのではなく、神様か、あるいは先祖なのか、目に見えない力によって動かされているように思えてなりません。