2010.03.07
里山アート展作品と対自
佐藤賢太郎

私の里山アート展の作品は抽象です、個展に出品する作品は具象です。一般的に具象作家は抽象作品を作りませんが里山アート展には抽象を作っています。自分の作品制作をしなければならないのに里山アート展の作品やプロデュースなど余計なことをしている場合ではない、とも思われるかもしれない。
   しかし私は、過疎の地域にアートで何ができるかといつも問いかけている。一人の作家が石や、キャンバスに向かって制作するのでない、形に見えないような作品、これも一つの作品つくりかもしれないと近頃思うようになってきた。

では里山アート展の作品とどうつながっているのか、自分なりに私はこう考えています。正直、里山アート展制作に時間をあまりかけられない制限があります。野外でもあり、ある程度大きさも必要です。しかも、あるものを生かし、無から有を生み出す、それは瞬時にひらめくものを形にすることになります。
   それは反面、個展に出す作品、石を彫るときとは違うことに挑戦する、これが面白さである。それはまた普段使っていない脳の活性化を養うことに役立つようにも思えてきました。

   これまで里山アート展で多くの作品やプロデュースをしてきましたが、私の既成概念を超えたアイディアを生み出す訓練になるのでないかと思うようになった。たとえば「分解する顔」、これなども割れた石を造形作品に変えているわけで、その成果が表れているのかと思った。これをもっと抽象的創造性に及ぶとどうなるのだろう。

コスモ夢舞台はさまざまな人によって、高度成長時代が残した田舎と今何が見つめることが必要か、つまりその組み合わせによって過疎でなにができるかという作品です。友がいるだけの原点からスタートした作品つくりです。これは一人では決して作れない作品です。