2013.09.12
里山アート展10周年に思う
佐藤賢太郎  

里山アート展は今年で10周年を迎えることになった。

この里山アート展は私が新潟県の十日町市で石彫シンポジウムンに参加させて頂き、越後妻有の大地の芸術祭や、茨木県笠間市の野外アート展を見学した経験をベースに、仲間とともに郷里にコスモ夢舞台つくりをしてゆく過程で野外アート展を開催してみようと思い立った。 

当初、地域住民にどのように受け止められたのか。地元の方は、米を作る田んぼにわけのわからないものが置かれて疑問をもたれたのではなかろうか。そんなことはこの土地では、なじまないとも言われた。そんな中でも里山アート展開催のため、ご高齢にもかかわらず、JRの線路そばや川べりの草刈りにご協力を頂いた事実もある。 

里山アート展継続はどのようにして作家を集めるかが一番の課題であった。また、その会場設営準備、その搬出や片付けにかなりの苦労があった。やがて、作家は作家を呼び、仲間内や知人作家を超えはじめた。そうしているうちに、里山アート展の活動がNGOのEU・ジャパンフェスト日本委員会の目に留まり、独立行政法人日本芸術文化振興基金、新潟県文化振興財団から助成されることになりました。そして、コスモ夢舞台の記録や、里山アート展の記録冊子作成をつくることができるようになった。これは里山アート展の大きい発展にも繋がったと思う。今年も里山アート展趣旨を理解し参加する加作家もいる。

 私の主宰する里山アート展は、住民生活と乖離したアートは芸術家(変わり者の)のひとりよがりと受け止められたようです。だからからといって、住民に相談する気力もなかった。それは、容易に理解を得られるものではないと思ったからです。

だから私が楽しんで、里山アート展をしたいからする。こうして10年里山アート展10回目を迎えることになりました。 

里山アート展の趣旨ですが、今では里山アート展はアートで何ができるかをテーマにしています。

  過疎化、限界集落がささやかれるこの地域に、アートでいったい何ができるのか、それをいつも問いかけています。

アートと言っても都会の美術館で開催される意義とは当然違う。そこに社会芸術と称して活動する作家も加わっている。ここでは、生活と密着することなしには里山アート展は理解されないだろう。例えば、里山アート展会場となる田んぼに、ひどい米を作って、誰が里山アート展を好意的に見るだろうか。良いコメを作って初めて理解の一歩があると思う。 

だからこそ、農作放置の田んぼの復活、メダカの泳ぐ無農薬田んぼ米つくり、無農薬畑からできる食物、それを使って食事ができる和彩館の食事処。田んぼ周辺をビオトープにする、地元参加型の芸能祭りをオープニングセレモニーとし、蛍が飛び交う環境を作り、田圃で夕方「蛍コンサート」を行う。それらを組み合わせる。また、EU・ジャパンフェスト日本委員会のお陰で、この過疎に外国人が集まる機会を頂いた。それは地域にも、新しい風を送るきっかけとなった。更に地元小学生や車いすの障害者の方も出品参加し散策できる空間にしている。私は「デズーニランドも感動があるかもしれないが、こちらの夢空間に価値がある」と言っている。 

結論を言えば、里山アート展は造形アートに限定しない、この過疎に夢を創る。作家として私の人生の総結集とも言える。自然との共生、人と人の共生を組み合わせることが必要条件である。だから人間力も問われる。そしてこの地域でできることを小規模ながらもさまざまなことを組み合わせて最小限経済的自立も目指している。 

更に10年継続して新たな展開がほんの少し見えてきたのは、大学生や若者がアートそのものに興味をもっているわけではなかったが、コスモ夢舞台や私の生き方に関心をもってくれる方の登場である。祖先そして父や母が守ってきた老人は先輩として大切である。それを生かすのが人生の先輩である私たちであり、そしてそれを未来につなぐのは若者である。私は今、その先頭に立ち夢を創る役目を天から与えられている。10回目は一つの区切りであるが、創造的進化のためにも里山アート展を継続してゆこうと思う。