2011.01.23
アートで何ができるか1
佐藤賢太郎

「コスモ夢舞台冊子」vol.3を刊行いたしました。その1ページに「アートでなにができるか=過疎に創造する=」とタイトルをつけました。中身は過疎の田舎で里山アート展を展開している記録であります。このアート展は、もちろん作家個人の作品を価値あるものと認識していますが、作品だけをアピールするのではなく、この過疎の地域に新しい風を起こすことを願っての開催であります。

作家は美術館やギャラリーのみならず町並みや森や、さまざまなところに展示する野外アートに参加するようになりました。野外展は全国で開催されていますが、新潟県では大地の芸術祭を初め、その他の地域でも行われている。それぞれの意図をもっての開催であると思う。

ところで私の考える里山アート展について考えを述べたい。ここ里山におけるアートとは何だろうか。一般的にアートの魅力とは、作品としての造形から精神的に人に与える影響力までを含めていうのであろう。それこそ現代アートに至るまで、原始時代のアルミラの壁画、キリストの壁画、ミケランジェロ、日本のお城の襖絵などさまざまである。原始時代、あるいは古代における造形作品(?)には、今でいう大賞とか、作品コンクールはなかった。生きる術を願ってのモノであったと思う。

話を里山アート展に戻します。アートとは創造ではないかと思います。自然の造形たとえば風紋、氷、雪など自然の造形物は美しいが、私から言えばそれをアートとは言いません、自然の造形美であります。あくまでも人間が、先人や自然の力を借りて、創造することを私はアートとよびたい。そういう意味で、広く言えば料理も創作である。

阿賀町は新潟県でも人口減少率がトップで、過疎地域の筆頭に位置しています。これと言った産業もなく多くの若者は高校を卒業すると都市に吸い込まれ、人口は減少の一途をたどっています。

残されたのは高齢者、その高齢者もいなくなるだろう。これは日本の行く末でもあります。乗船することに例えたら分かりやすい。片方にばかり人が集まったらどうなるでしょう。私は過疎に住んで居ないからいいといえるだろうか。

こうした環境においてどのように人間は生きてゆくべき道があるのか、それを考えることが大切だと思う。経済的に豊かになることが最終的目的ではなく、豊かに生きる環境つくりが創作ではなかろうかと思う。したがって、単独で地域活力は成り立つものではなく、人、自然、農、食、教育、イベントなどなどが自然な形で繋がっていなければならないと思う。

私は何もできないというのではなく、価値を見つけること。ここにこそ、できる可能性が生まれると信じています。ないことは創造する力を生みます。

その総合的なつながりの創造力こそ、アートが必要としているものです。里山アート展は遅々たる歩みかも知れないが、大地に足を着けトライしている。その意味において、今年は循環、再生、創造をテーマとして取り組んでみたいと思う。