2011.10.10
アートで何ができるのか
循環、再生、創造
彫刻家 佐藤賢太郎

今日的選択へ

何の変哲もない一山村に野外アート展を毎年開催して8年目になる。再びこの「里山アート展」はアートで地域に何をもたらしたのか考察してみたい。

里山アート展が終了したら、この地域に何も残らなかったというのであれば、このアート展は作家の発表の場以外、何の影響力もなかったということになる。

田舎には仕事がないからと若者が都市部に移り、年々後継者減少に拍車がかかり、過疎化が進んでおります。そればかりか、自然豊かな懐かしい郷里の原風景も消えて田舎の魅力がなくなっている。残るは寂寥とした田舎である。

一方、世界中の国々が経済効率を競い、そして経済的にもほころびを露呈しているのが現状であります。そんな折、日本は未曾有の大地震に見舞われました。ことに福島原発による放射能汚染は今も深刻な状況にあります。このことは、経済効率を第一と選択した結果であろうかと思います。経済優先ばかりを考えるのではなく、この先、日本人はどのような生き方を選択すべきなのか、そういう意識を持つ方も多くなった。

ところで、わが郷里では高齢化が進み田んぼの耕作から手を引く人も多く、田畑も荒れている。そのようなとき、稚拙ながら里山アート展を立ち上げ、どのような変化があったのか具体的に述べてみます。

アート展と魅力ある田舎つくり

故郷に帰ってみれば、我が家の休耕田の田んぼに葦が広がっていた。そこで、アート展を開催するためにまず葦を刈ることから始まった。そのうしろ、JR磐越西線が走る斜面は雑木におおわれていた。景観を取り戻す斜面の草刈りに3年もかかった。

かつて、この田んぼ周辺には蛍がいっぱい飛び交っていたが、「第一回里山アート展」のころは一匹も見られなくなっていた。仲間とともにホタルの小川を復活させ、今年はホタル観賞ができるところまできた。さらに、使えない田んぼを池にしてメダカやドジョウの棲む池を作り、メダカの小川も作った。農薬を使わない田んぼにはメダカも棲むようになった。アートを見ながらビオトープを鑑賞することに趣を置いて畦道を石畳みにした。

この創造した石畳の道は、いつの間にかアートとなっている。ここは都会ではできないアートとビオトープ、農業をセットで観ることのできる空間になっている。そのことは経済性は低いが魅力ある田舎つくりにつながっているのでないかと私は自負している。

さらに里山アート展のオープニングとして田んぼ夢舞台祭り(芸能発表)を実行委員会と共催してアートに親しんでいただくことにしている。それは、この地域の人々にとってアートとの接点として大きな意義があると思えた。地域の活性化というけれど、この歩んできたプロジェクトは都市の仲間がいなければ成し得ないことばかりであった。そして、この田舎に通う都市の仲間と地元の人びととの交流が生まれることになった。

また、人が集まれば第一に食が重要なポイントのなるのは当然のことである。これも田舎ならではの無農薬の健康食、安全、安心で美味しいマクロビオティック食を作り出すことになってきた。

アート力

このように里山アート展によって総合的な組み合わせに辿りつくことになったが、こうしてみると里山アート展を開催し続けることが「魅力ある田舎つくり」になってきていると思う。

私は、アートとは造形作品を作ることだけではないと思っている。大震災を境に、経済優先より日本はもちろん世界中の人々も「人と人の共生、人と自然との共生」に重きを置く選択をすべきだろうし、そのなかで循環、再生を考え組み合わせを創造する力もアートであると思う。そして、その成果が見えて来るまでは里山アート展の継続が必要であると確信している。

目指すところ

   里山アート展は稚拙ながら遅々たる歩ですが、目標をもって前進している。イベントが終わればそれで終わりというのではなく、さらにどうしようと考える。人の言葉を拝借して表現しますと「私たちの実践の積み重ねの先に人類の愛和と共生、人と自然との共生の目標のために、今自分ができることを実践する」という高い目標を抱いております。