2012.05.25
フランスのアーティスト来訪3
佐藤賢太郎

23日朝9時から里山アート展の現場を案内する。立ち会ったマスコミは一変して新潟日報一社のみであった。フランソアさんの来訪が里山アートがメインではないこともあり、私はマスコミに手配していませんでした。

さて、私が考えるアート展は「過疎の田舎に、自然環境保全を第一に生き物の生態系を見られる場であり、食、安全なコメを作る田んぼを実らせて地域の活性化を図り、魅力ある田んぼ公園化を促進する。これをアートの力によって作り上げることである」と、フランソアさんを案内しながら佐伯さんに通訳していただいた。正確に申しますと彼女はアーティストでなく、アートディレクターの監督です。

充分理解していただけたかどうかは分かりませんが、おおよその感じはつかんでいただけたと思っている。彼女はそれを聞いて、「里山アート展は生活の一環としてアートを考えているのですね」と言っているようである。

ギリシャでもそうでしたが、言葉がすべてではない。目と目を合わせて感じる感覚しかないが、これは日本人同士でも同じことである。

私は実際に田んぼを作り、ビオトーオプを作り、そのうえでアートを実行している作家である。そこが他の作家とは違う点だろうと思う。そしてそれを感じて頂くためにも彼女にも田植えをしていただくことを即座に決めた。受け入れはいつもすべて即興である。

私は中学生と田植えをして、それからフランソアさんと田植えをした。在日中こうした体験ができるのはここだけだろう。

彼女は黙々と田植えをしていたが、こんなこと毎日できないと言っていたようである。

フランソアさんから自分たちの開催しているアート展をパソコンによって見せて頂いた。パフォーマンス、ダンス、インスタレーションなどさまざま行われている。日本の野外アート展ではよくみられるが私たちが開催している里山アートとは幅は違っている。

昨夜豊実に戻る途中フランソアさんは「カルチャーとアグリカルチャーを合わせて自然は成り立つのではないか」と車の中で話していた。騒音のうるさいトッラクを運転しながら夜道を走る私に、「佐藤さん聞いていますか」と佐伯さんは私に促してくれた。私は「ビオトープというのはそういうものだと思う。人間も自然の一部として動き働くことによって、自然は守られていた。しかし例えば今日それが分断されて、山が荒れ、川に魚が棲みづらい環境にもなっている。」それを佐伯さんに通訳していただいた。

豊実の駅に彼女たちを見送った際、下車した地元の方が「今の人外国人ですね。よく豊実に来るねと」感心しながら話しかけてきた。

外国人が来るだけの魅力があるから、ここに来ているのだろうという思いは一部の地元の方にも浸透しつつある。今回、中学生の体験学習の生徒たちの受け入れと重なったが、家内が協力してくれたことも感謝です。

ともあれ、外国との交流はEU・ジャパンフェスト日本委員会の存在があってもたらされていることは確かである。古木修治さん、フランソアさんを豊実の里山アートに向けてくださりありがとうございました。