2012.05.27
仏アーティスト来訪で考えたこと
佐藤賢太郎

EU・ジャパンフェスト日本委員会の計らいでフランス人アーティストと青森県の田舎館村を視察できました。勿論、その手法を学んだということではなく、私たちの里山アート展を考えさせていただいたことが大きかった。

人間は自然の一部だと誰もが言うようになった。しかし、本当にそのように実感しているかどうかは別である。

フランソアさんとの会話で共感したことがいくつかあった。フランス南部に自然塩田があるが、人間が手を入れないでほっておいたらフラミンゴも棲まなくなり、人間が少し手を入れることでフラミンゴが戻ってきた。つまり、自然に手を入れることによって自然は保全される。フランソアさんはそのように私に言った。私は「ビオトープという語源はまさにそのようなことを言うそうですが、里山アート展の会場に蛍が飛び交うようになった。フラミンゴと同じような現象である」と言った。そこに里山アートを開催する一つの意義があります。

人間は自然の一部という話に戻ります。鳥が糞をして、実りを運ぶことや牛が草を食べて草原を再生させる、それと同じように人間が森に入ってせっせと働いて炭を焼く、木を切る、山菜をとる焼畑をする。このような動きによって森が生きて、動物も生活しやすくなってきた。つまり動物のように人間も自然の一部として働いてこそ成り立っている。

人間だけが特別な生き物ではない。文明や科学の発展を良いこととして賞賛するのはいいが、原発をはじめ人間が人間の臓器を作ろうと考えるなど、さてどうしたわけだろう。自然の摂理から逸脱しているのではないでしょうか。

そうしたことを考え直すきっかけをつくりだすことが、アートの持つ意義の一つではないだろうか。