2013.10.05
命ある限り燃えよう
佐藤賢太郎 

里山アート展直前になった。ともかく、その準備に毎日追われている。農業に手をだし、ビオトープつくりに一年動き、私の仕事は何だろうかと思えるほど多岐にわたっている。私は里山アート展の後に講演会が二つある。そして、来年のギリシャ行きの準備。さらに、滔滔亭の内面の壁全てに宇宙の絵を描く。そんなことに生きがいを見いだしている。それも人と共に、決して一人ではできないことをしている。

仕事というとお金を連想してしまう。しかし、私は直接収入とは結び付かないことに懸命になって日々過ごしている。それができることは、収入は少ないが幸せだろうと思っている。宮澤賢治でないが、玄米と味噌と野菜を食べ、そして夢を創っている。歩きながら、走りながら、次々と考えが思い浮かぶのだ。不思議なほど頭が冴えて、こうしようと言うアイデアが生まれ、人が集まる。

里山アート展には、会員をはじめいろいろな方が集まる。初めから計画したわけではない、思いがけない人びとの集まりになる。フランスに行って日本人の女性ダンサーと出会った。その人が、フランス人を連れてくることになった。しかも、芸能発表をしてくれるようだ。また社会芸術を提唱されている作家も次なる作家を呼んでいる。第一回里山アート展の参加作家も力作出品し、想いをこめて作品を搬入した。設置ホローする地元の古山さんも夕刻まで手伝ってくれた。

アート展の開催オープニングのために斎主さんがおいでになり、スモ夢舞台隆盛祈願祭の打ち合わせをした。当日来賓を迎え、芸能発表をする団体や学生、出品作家、コスモ夢舞台の会員等が集まり賑やかになる。これら全てを把握し、調整するのが私に課せられた役目である。

何と言っても、12日の前夜祭には27名が宿泊する。里山アート展の作家はその一部である。部屋の配置、食事の手配などに家内は頭を悩ましている。これをしてくれるから里山アート展がこのように盛大にできるのは明白である。随所に主となって里山アート展が開かれる。私は里山アート展オープニングまで東奔西走スケジュールが一杯である。健康であるありがたさを知る。吾唯足知。これ以上のことはないだろう。 

趣味は何ですかと人に聞かれたら、「こんなことをしているのが私の趣味です」と答えようか。まだ明確ではないが、私は次なる里山アート展の構想を描き始めている。命ある限り、共感する人と共に燃えていきたい。