2016.10..24
楽日の輝き
森 紘一 

 第13回里山アート展は、10月1日(土)からはじまり22日(土)に終了。40点におよぶ作品の撤収作業に、東京ブロックから6名が豊実に参集した。 

 最終日の22日(土)11時過ぎ、和彩館は20名を超すお客さまで混み合っていた。例のモロッコの民族ハットをかぶった佐藤さんが、熱弁をふるっている。博進堂さんが募った研修・見学会ご一行の皆さんが、それを熱心に聞き入っているという授業風景のようだった。 

 この後、「蔵・銀河」の前に杵と臼が持ち出され、もち米玄米の餅つき大会がはじまった。新潟大学のインターン中の研修生という二人の女性も杵をふるい、清水社長も笑顔で見守っていた。ゴマ、黄粉、餡、辛味などに和えた玄米餅、さらにマキ子さんお手打ちの十割蕎麦という昼食に、皆さんも感激されている様子だった(賄い班の皆さん、ご苦労さまでした)。 

 和彩館では、郡山の作家長田さんご夫妻と大島さん母娘にもお目にかかった。今年は郡山の施設の皆さんが、都合6回見学に見えたという。そういえば、長田さんの絵画で装いを変えたドームは車椅子で出入りができるようになり、内部も、写真構成による「まちあるき物語プロジェクト」の皆さんの力作が天井から下げられ、楽しい空間に生まれ変わっている。

 ドームは今や、里山アート展のシンボル塔となっている。

 撤収作業は、午後2時過ぎからはじまり、ほぼ2時間で完了した。佐藤さんの指揮のもと、地元にすっかり溶け込んでいる古田さん、助っ人の梁田さん、新潟市内からの小宮さんに我々3名と男手7人衆で手際よく片付けられていった。好天に恵まれたこともあるが、何といっても廃材を利用した木質の軽い素材が多かったことが幸いだった。

アート展に参加することの楽しさは、撤収作業を経験することでより深い喜びに変わっていく。アマチュア組の作品づくりについては、撤収作業も考えて佐藤さんはかなり配慮されていたようだ。 

 夕暮れ前に、山の上の「桃源の湯」に出向いた。作業後に仲間うちで浴槽に浸ると、いつものことながら満ち足りた心持ちになる。浴室から遠く飯豊連峰を望むと、わずかに色づきはじめた山並が美しい。里山アート展の終章は、間もなく今年も無事に過ぎていくという安堵感に包まれている。

 それにしても、“継続は力なり”とはいうが、早くも来年の里山アート展を浴室で語りだす佐藤さんの気迫には圧倒されてしまう。 

 風呂から戻ると、地元の古山さんが持ち込んだという鯉料理が待っていた。大きな鯉の内臓を捌き、味付けをするには技術がいるそうだが、古山さんと賄い班による夕餉の鯉こくは見事な出来栄えだった。臭みもなく、温かい汁ものに箸もすすんだ。贅沢な宴に居合わせた我われは果報者である。

 コスモ夢舞台と里山アート展にとって、食と健康は欠かせない構成要素である。  

 翌日23日(日)は、津川の「狐の嫁入り屋敷」でシンポジウムがあった。題して「過疎で豊かな暮らしを!」午前9時からの開演である。さて、お客さまは見えるだろうか?

 昨日とは打って変わった曇り空に小雨の降るうすら寒い陽気、いよいよ秋本番、津川周辺のさまざまな行事と重なる日曜日であった。

結局我われ会員を含む17名で、アート展を中心としたコスモ夢舞台の活動実績をスクリーンで振り返り、これからを語り合う、和やかで意欲的なシンポジウムとなった。 

 こうして里山アート展の最終日の翌朝、「豊かな暮らし」とは何かを少数とはいえ地元の皆さんと語り合えたことは大きな前進であった。

 これからも、里山アート展を継続していくことで地域と個人の元気に貢献する。それは我われの喜びであり、そのためのアイディアや知恵を出し合っていこうということが確認された。 

 昼食後、来年のオープニングイベントは、炭坑節ではなく佐渡おけさを踊ろうという発案があった。初参加の上川の母娘の唄声で、今年80歳になったという今西さんが皆さんに踊って見せるというハプニングがあった。若々しい傘寿の舞いだった。 

第14回里山アート展は、すでに新たな芽を膨らませながら始動をはじめている。