里山アート展作家の声1

佐藤 賢太郎  様
佐藤 マキ子  様

 先日はお世話になり、ありがとうございました。そろそろ稲刈りの頃だと思います。さぞやお忙しいことでしょう。

 毎度のことながら農事について、田植え、稲刈り、草刈り等の一切に関わらず、やりたいことだけ済ませてせっせと帰ってしまう作家たち。この者たちをどう思われますか?里山アート展への参加作家であるなら、最低限その責任を全うすれば、取り敢えずは良とされるのだろうが、里山を舞台にした意義を考えると如何なものでしょうか。だが、現状ではこの距離と時間を埋められる状況はない。

 この度も、かなり押しかけに近く、開催日の一ヶ月近くも前に設置作業を済ませようとは、もちろん私どもの都合に他なりません。佐藤ご夫妻には、このような我が侭を聞き入れていただき、感謝いたします。

 参加者は豊実でアート展開する意義について、夫々に考えていると想います。

 我々参加者の一部ではあるが、不定期に研究会を重ね、芸術の社会貢献及び.社会的意義について、一定のテーマや方法論を見出そうと試みています。それは賢太郎さんやフクロウ会の方々が手塩にかけて整えたビオトープや田圃、そして阿賀川をも含めて対象とし、造形に絡めて取り扱う。そこには、すでに20世紀に置去りにした自己表現という陳腐さはない。人や土地、歴史と関わり、既存の文化や工作物を取り込むことで、現代社会を芸術のフィールドに結びづける。否、もっとおおらかに根源的な自然との関わりにすべてを含ませること。

 いみじくも、賢太郎さんが昨年参加した作家の残廃を使用して、新たな作品に組み替える業に、実に我々と同様に個人に拘らない自由さを認めました。とても共感できます。

 きっと佐藤ご夫妻のように、多くの人たちの手が加わり、夢へ向かってひとつに構築されて行く様を体験すれば、ちっぽけな個性や自己表現、ケチな著作権と言った個人主義の矮小さに気付くに違いない。よりおおらかに人々と交わり、取り込み、取り込まれる。そんな関係が創造性を拡げて行くのでしょう。

 コスモ夢舞台の主旨は前年よりも明瞭になり、確実に前進していると思います。若輩者の勝手な見解に、どうかお気を荒立てないで下さいませ。

2010.9.22                                    吉田富久一